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色暦女浮世絵師のニューランドのレビュー・感想・評価

色暦女浮世絵師(1971年製作の映画)
4.3
✔『色暦女浮世絵師』(4. 3p) 及び『性盗ねずみ小僧』(3.4p)▶️▶️

 日活ロマンボルノの初期は時代劇の比率が後年に比べると大きく、取り分け時代劇など似合わないない中生がそうだと言うのが、後で考えると意外。事実、その対象作は、怪談ものと破天荒喜劇の2作しか過去観ていない(後者は映画史上の傑作だが)。他のも観たくなった。
 『色暦~』。映画特有の強力トリック·または時代劇のレトリックや·反対に写真=映画の存在がまんま現る、といった武器や技巧を全く考えず、気負いがないのか·それを越えた気負いだけが剥き出しになってるのか、椿とその赤にしても·襲った男の顔のインサートにしても、メタファーや記憶·オブセッションなのか、或いは高度に精神が振れ·張り詰めた者のより直截的な感覚なのか、判別がつかず、時代劇のセットと美術を良しとしてるのか·追跡のフォロー分解や追いつき掴む切返しの単調·丹念さにしても·及第としてるのか·敢えて不一致ラフさを持たせ·別の物を狙ってるのか·分からない、曽根の長編処女作は、長編劇映画を揶揄してるわけでもないのに、通常のサービスを端から考えない造りになってる。最高傑作ではないが、彼の最も真摯で自分の中の熱度をその侭に披露しぶつけた作品である。通常シーンでの縦の(主観)移動·すすきや屋根越し俯瞰め図·レイプや抱擁シーンの果てない傾き揺らぎや密着と全体縦や俯瞰図のとことん敷き詰め·傾きを傾きと感じさせぬ扱いナチュラル図らは、全て対比のコマでなく、全てがその瞬間の全体と狂気正気の差の無さを著している。回想イメージや、視覚のメタファーの現実同等化も、実は差がない。適確を超えた曖昧な表情、その尽きない重ねCUらもドラマを越えた何かしらに達す、不可思議な真実の示唆。バッハらの西洋クラシックで全編を覆ったのも、意気ごみというより一般映画概念から離れた投球を、自他に示す為か。
 この作の闇の元は、身体が弱く·邪気に欠ける·全てに真っ向から取組み·一般的道理もその為に捨てるに障害ない、浮世絵師である。板元の指示と、妻に感じる闇と才能を、真っ当な力の在り方と受入れる度に、社会·世界には開いて行くが肉体は·そして精神も決定的に衰弱の途を辿る。
 「確かにこれまで描いてきた風物の自然も、板元が今売れてるのはと要求する男女の営みも、生の活力というのでは一致してて、今まで別物で無縁と考えてたは間違っていた」「(レイプという)どんな酷い目にあったとしても、お前は変わらず最も大事。記憶から消えゆくまで頑張ろう」「私が春画を描けないから、吉原に遊ぶ金の工面の為に売ってくれ、というのか。違うやり方があるはず」「その形や絵は、勤めてる待合の店で覗き見たものというのか」「やはり、お前は私とは違う生き物。私の師の血を引いた、私とは別物」「この方向で描いてくれと? しかしこれは私の作品でない。私は線を決めただけ」「こうして病で動けなくなり、はっきり分かった。浮世絵は、淀んだ所から浮上してくるもの。これからは、お前が絵師としてそれを拡げ明らかにしてほしい」「やはり、こうして自死に至ったは、(お前は私の為に立ち直っても、創作の原点としても私は忘れてはおらず)お前を遂には赦し切れなかったから」···浮世絵の成功の途を開いた妻の、結局はその出発点の自分を汚し、夫を死に導いた闇の元の、大店の若旦那の、性に潔癖どころか、秘かに幼女から高窓娘まで次々死に至らすケースもある変態凶悪性癖。自らの手になる売れてく浮世絵の流布で彼の犯罪を世間にほのめかし、彼が慕う、夫婦を約した、豪商親同士結託の道具でもある、許嫁を辱め·堕落へ導きの男に連れ去らせ、若旦那の股間をこそ·赤い椿化の惨劇に浸らす。最愛·生甲斐·自分はその為に消えてもいい夫を失い、魔に連れ出し·軋轢の元になった男を消し、只歩くヒロイン。 
 妻は自分の闇や才能は、夫への愛に比べれば幾らのものでもなく、夫には真の天才とその元の闇を発見させてく至上を与えてくも、夫の自己の衰亡·否定に通じてく。サイズの測り知れない、見た目掌編。
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 それに比べると2本目『性盗~』は、充分企業内でやってけるを証明した、好ましく切なく微笑ましさに、降りたった佳品。しっかりした身体部位分解·全身図も入れたどんでんや俯瞰めの丁寧割り付け(での性交や自慰真っ当に)、効果部音楽のポイント、時制のかなり複雑行き来も納得腕前、フォローや寄る他傾き動感のカメラ移動、らのメリハリあって、純情·茶目っ気や、牢内下剋上や傭われ者だけ働くヤクザ出入りの破天荒も適度に味付け。囲みもあったりする·淡さソフトや光が白く当たるトーンでの少年時回想や女将さんの情交覗き、スタンダード画面·中間字幕の無声映画的自らの乱交、エピローグ白一面バッグでの様式的打首から·°女の手による役人刺し復讐果たしの交錯から血で赤一面画面へ、らの詩情や奇抜溢るる手法も挿まれる。
 子供の時再会を約して離れ離れになったふたり。男は呉服屋奉公から、有閑女将らを満足させ口封じ大金得てく、変な怪盗に。女は待ち合いの女に。再会させる事になったは、遊び人仲間だが元役人で‘金さん’風が、復帰の条件で、男を庶民の怒り和らげる人気の義賊に仕立て、世直し騒動までゆくとまずいと捕らえ見せしめ処刑へ、の経路で。その引き留めに、元役人は、自分のイロを使うがそれが探し続けてた女。2人は互いを確かめ、お上に抗するが。捕物の動感·統一感もしっかりしてるが、全体には良く出来た、‘おはなし’をそんなに超えるものでもないし、様々語り口·手法も真に鮮やか迄は行かない。が、企業の信頼は勝ち取れる、ユニークさも充分ある作。
 曽根に、映画的緩急速度や納得ずく纏める話芸はないが、引っ張りだした異様なもの·価値観を、際立てるのではなく、寧ろ逆に取り立てて論議するものはないと、一層平明·クリアに描きたててゆく事が、その手の先人パゾリーニを上回ってしまう。2本のインパクトの差は、滴る様な粒子と色彩のニュープリントと、すっかり褪色劣化した旧いプリントによるものかもしれないが、それでも無意識の姿勢の間に線が引ける。
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