大道幸之丞

あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

新「尾道三部作」の三作目。つまり大林監督の「尾道シリーズ」完結編。

冒頭に「20世紀を生きたおじいちゃんと、21世紀を生きるこどもたちにこの映画を贈る」とあるが、大正生まれのおじいちゃんと孫の物語である。

大林監督は「戦争の恐ろしさと悪」を全作品に投影していると語っている。

息子家族では「ボケている」と思われている祖父大井賢司郎(小林桂樹)の許へ孫である大井由太(厚木拓郎)が夏休みを口実に訪ねて滞在するように言いつけられる。

はじめは祖母から聞くはなしからも「ボケているのだろうか」と思っていた由太だが、実は賢司郎は自身の幼少時へタイムワープが出来て、そこでの出来事を現代に引きずってしまった時におかしな誤解を受けている事を知る。
家でくちずさんでいる不思議な歌も昔の歌である事はわかった。

ピュアな少年であるが故に由太は目の前で起こっている事を先入観なしに認め、あるはずの橋やフェリーを「ない」と言い切る賢司郎には大変奥深い思考がある事も知る。

はじめは長恵寺の僧侶の娘ミカリ(勝野雅奈恵)が向島に遊びにいった由太を自宅にまで呼び、賢司郎が言っていた「タマムシ」を見せ、「開かずの部屋に住んでいた病弱だった子」が好んでいた子守唄を蓄音機で聴かせると、その曲こそが賢司郎が口ずさんでいた曲であった。

「夏休み」という高揚感と肉感的でありながら天真爛漫なミカリが淡い異性の心地よい緊張感が発散されるのがいい。

賢司郎に言われワープで長恵寺にいく由太はそこで賢司郎の多くの秘密を知る。

向島にある長恵寺の納戸のような場所に住んでいる病弱な少女・お玉(宮崎あおい)と昔は淡い恋仲にあり、「カゲロウと同じく私も夏にいなくなってしまう」と死を惜しむ心から賢司郎に服をすべて脱いでほしいと懇願し自身も脱ぎ「今の生きている自分をしっかり確認してほしい」と向き合い賢司郎は「秋までは生きてほしい」と願い指切りげんまんをする。

そこには賢司郎の子分のような存在の多吉が、賢司郎を陥れるような細工をしており、その謎解きを由太が手助けする。

結局その夏の花火大会の日に賢司郎はなくなるが、大正時代の祖父と平成の由太がたわいないながら印象的な会話があり賢司郎は由太に感謝しながら安楽に亡くなっていく。由太は誰にでも美しい思い出が存在する事を五体で識ったはずだ。

自宅に戻った由太が賢司郎に思いを馳せると、窓の外に祖母の亀乃(菅井きん)とお玉を両手に従えて空をのびのびと飛ぶ賢司郎の姿をみる。

大林作品にでたくて仕方がなくて以前から懇願していた勝野雅奈恵の数少ない出演作品でもあり、当時16才ながらキャシー中島譲りのボリューム感のある水着姿や、まだ当時13才の宮崎あおいの半裸姿なども必然性があって良い。

「亡くなった方々の大切な記憶」を扱った大林作品で「尾道シリーズ」の最後の作品としても、非常に幻想的で、飛躍しすぎて感じるかもしれないが、大変よい作品でした。