よーだ育休中

ダークナイト ライジングのよーだ育休中のレビュー・感想・評価

ダークナイト ライジング(2012年製作の映画)
4.0
ゴッサムの《光の騎士》が没して八年。彼の名を冠する新法によって街の組織犯罪は一掃され、犯罪率は激減した。彼を殺害した容疑を掛けられているバットマンは姿を眩まし、街一番の大富豪も表舞台から姿を消す。そんな中、ウェイン産業のクリーン・エネルギー事業を逆手に取り、ゴッサム転覆を狙う恐ろしい企てが足元で進行していた。

屈強な肉体と不屈の精神を併せ持ち、自らを〝必要悪〟と豪語するテロリストが立ち塞がる。満身創痍の男は、それでも愛する者のために立ち上がる。


◆ We take Gotham from the corrupt.

堕ちた光の騎士Harvey Dentの凶行は隠蔽され、ゴッサム市民たちは彼を英雄視しながら仮初の平和を享受していました。真相を知るGCPDの本部長Gordon(Gary Oldman)は犯罪者が英雄視されて、真の英雄が犯罪者として追われている現状に葛藤しながらも、街の平和と友の覚悟のために沈黙を貫きます。

決して少なくない犠牲を払い、ようやく平和が訪れたゴッサムに再び《影の同盟》の魔の手が迫ります。【バットマン・ビギンズ】で倒れた同盟の党首Ra's al Ghul(Liam Neeson)に破門されたという危険人物Bane(Tom Hardy)が、新たに同盟を率いてゴッサムに破滅をもたらさんと狙いを定めていました。

前作【ダークナイト】では、ゴッサム市民たちが持つ《心の奥底の善性》が提示されていましたが、今作ではそれが無かったかのように取り扱われています。《仮初の平和》をぶち壊したBaneが提示したのは《仮初の自由》。デント法によって収監されていた犯罪者たちと、生活に不満を抱える貧困層が歪んだ正義を振りかざして暴れ回り、ゴッサムは瞬く間に暴力と私刑が横行する無法地帯となってしまいます。Baneの残酷な計画のうちであったとはいえ、ゴッサムの持つ醜悪さが露呈された形に。前作のラストでバットマンが市民たちを信じて罪を被った事が無駄になってしまいます。

『全てを投げ打ったBruce(Christian Bale)が得たのは嘘だけ。やはりゴッサムは救うに値しない街だー。』《奈落の牢獄》に現れたRa's al Ghulの幻影が言い放った台詞が印象的でした。


◆ Then fear will find you again.

C.Nolan監督が手がけたダークナイト・トリロジーのラストを飾る今作は、一作目のビギンズへと原点回帰した様に感じます。孤児として暗い過去を持つB.Wayneがバットマンへと転身した経緯。自ら恐怖を克服して、ゴッサムの犯罪者達にとっての恐怖の象徴たらんとした彼。死すら恐れずに戦いに明け暮れた暗黒の騎士は、愛する人を喪い、身も心もボロボロになってしまいました。

不自由になってしまった足をサポーターで無理矢理うごかし、屈強な敵に挑むバットマンでしたが、奮闘むなしく敗北を喫します。背骨を負傷し、起き上がることさえままならない状態で《奈落の牢獄》に幽閉されてしまったBruce。死さえ恐れない強靭な精神力を持つ彼に、Baneは精神的な拷問(何も出来ないまま、ゴッサムが滅ぶ様子を見せる)にかけます。心身ともに極限な状態まで追い込まれたBruceは《牢獄の竪穴》の中で《幼少期に落ちた古井戸》を想起します。


人はなぜ落ちるのかー。
ーそこから這い上がるためだ。


屈強な漢であるBaneでさえ、この《奈落の牢獄》に収監されていた時に『希望があるが故に真に絶望する事を学んだ』と折れた心中を吐露しました。しかしBruceは、この牢獄の中に《かつて竪穴を登り切った者が居る》という希望を捨てず、絶望することはありませんでした。彼が新たにこの竪穴で学んだことは、『恐怖を捨て去ってはならない』『恐怖するから強くなる』ということ。


Why do we fall ?
So we can learn to pick ourselves up.


心身ともにすり減った状況に置かれてなお、彼は其処から自分が抜け出す方法を学ぶ術を心得ていました。恐怖を捨てるのではなく糧にする事。そうして竪穴を登りきり、恐怖の象徴たるコウモリの群れに包まれたBruce。亡き父の言葉を胸に、暗黒の騎士が再び立ち上がった《The Dark Knight Rise》瞬間に鳥肌が立ちました!


◆ A hero can be anyone.

今作では《バットマンは象徴である》という事も、一作目の原点に立ち返ったかの様に強調されたメッセージとして内包されていたと感じます。

B.Wayneがバットマンとして闘いを始めたのは、スーパーヒーローになりたいからではなく、ゴッサムの犯罪を撲滅させたいから。犯罪と戦い、犯罪を抑止する象徴たらんとしたことが始まりでした。大事なのは『バットマンは誰か?』という事ではなく、『犯罪は無くなったのか?』という事。

その身を挺してゴッサムを核爆発から救おうとするバットマンと、戦友であるGordonの最後のやりとり(BruceとGordonとの掛け合いといえば、バットマスクではなく『覆面姿でコンタクトを取る』シーンも一作目と同様の演出でした!)は鳥肌もの。せめて最後に正体を教えてほしいと願うGordonに、それでも最後まで正体を明言する事なく(やっぱりここがアイアンマンとは違う所)、粋な台詞を残します。

Even a man doing something as simply and reassuring as putting a coat around a young boy's shoulders to let him know the world hadn't ended.

…これで正体を特定したGordonさん。最後の最後で過去一の推理力を発揮されましたね。


◆ There are many forms of immortality.

奈落の牢獄に現れたRa's al Ghulの幻影は、『不死には様々な形が存在する』とBruceに説きます。スーパーパワーによる不老不死というわけではなく、一作目では《影武者》による不死性について描かれていました。今作においては《後継者》による目的完遂の観点から不死性が描かれています。

《後継者》という概念が、バットマンの目指した《象徴》になるという理想をさらに昇華させる事につながっていました。犯罪抑止のための象徴は、一種の不死性を伴って連続していく。【ダークナイト】でバットマンを模倣する輩が批判的に描かれていましたが、真に彼の理想とする正義を継ぐものが誕生する事によって、暗黒の騎士は永久不滅のものとしてゴッサムを見守り続けるという発想。Bruceがゴッサムを去るというラストは、他のバットマンシリーズとは異なりNolan版ならではの素晴らしい演出でした。原作におけるサイドキックが今作では後継者として指名されるラストは勿論素晴らしいのですが、忠実な執事であるAlfred(Michael Caine)の気持ちに報いた主人の選択に胸を打たれました。本当に良かった…。


*雑記*
『さーきとよーだ』のダークナイト・マラソン、無事に完走しました!何回も観ているのに中々レビューできていなかった今シリーズ。Sakiちゃんお付き合いありがとうございましたっ‼︎