けんたろう

ゴダールのマリアのけんたろうのレビュー・感想・評価

ゴダールのマリア(1984年製作の映画)
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突如開講する、女の腹の触り方講座。


絵画のやうに構築せられし一枚々々の画。月や太陽、妊婦の腹の神秘的映像美。然うして作品を導く壮麗な楽曲。自然物も人工物も、本作が描きたるものは悉く美し。

又た其れは作品のテエマに就いても然り。
女、母性、子宮。処女懐胎に端を発した物語りは、発散しはせずに、どんどんと内へ沈み込む。命の起点。宇宙の起源。時間を巻き戻してビツグバンの原点に臨むやうな此の壮大で勇敢な物語りには、無類の美を感ず。肉体と魂の絶え間ない葛藤と融和の尊さに就いては云はずもがな。
ときに「男は影か」との問ひが有つたが、其れは陰門といふ名のブラツクホオルを前にして最早や逃れられない(即ち観測者に認識してもらへない)性を持つ我々の、悲しき定めなのかも知れない。

其んな命の根源と分裂の過程と再度の融合とに真摯に向き合うた本作でも、矢張りゴダアルのユウモアは光つてゐる。即ち、大天使ガブリエルや神の子イエスなどの普遍ならざるものが、日常に佇んでゐる可笑しさである。此の絶対に有りえぬ事柄を然も普通の如く真面目に遣りとほす可笑しさ、もつと云へば、設定をふんだんに活かした可笑しさが、本作には満ちてゐる。詰まるところ本作は、リアルとフアンタジイを掛け合はせたときに生ずる違和感を逆手に取りて、そつくり其のまゝユウモアにしてしまうてゐるのだ。全く恐れ入る。
兎角、美しきなかに愉快なるものを齎らした本作の面白さは、筆舌に尽くしがたい。

因みに、数多の女性のなかで彼女が選ばれたのは、一体何うしてなんであらう。果たして彼女が芸術を愛し、清らかなる感性を持ちたる処女であつたからなんかしら。ジユリエツト(ジユリエツト・ビノシユ!)との違ひは其処だつたんかしら。
まあ何んでもいゝや。兎に角、美しい作品であつた。