Ricola

ゴダールのマリアのRicolaのレビュー・感想・評価

ゴダールのマリア(1984年製作の映画)
3.6
処女のままイエス・キリストを身籠ったという聖母マリア。
そんな奇跡がもしも現代社会に起こるとしたらどうなるだろう…?
ゴダールは、哲学と生命の神秘への探究に沿って処女受胎の物語を描いている。

「肉体が精神に影響する」のではなく、「精神が肉体に影響を及ぼす」とマリーは語る。このセリフこそが現代のおとぎ話のような、この作品のテーマそのものである。


キリスト教では禁断の果実と言われる、リンゴを噛じる行為はこの作品でも意味深にとらえられているようだ。
両親が喧嘩しているそばで、食卓でもサングラスをしていた父に「目が痛いの?」と聞いた幼いマリーは、目の前に置いてある半分に切られたリンゴの種の部分にナッツを入れ込んで遊ぶ。父親はリンゴを噛っている。大人に成長したマリーがリンゴをかじるシーンも何度か見受けられる。

水中に母と子がともに漂うこと。
マリーは子供の頃に母親と入浴するし、大人になったマリーも自分の子供とプールで泳ぐ。
胎児が羊水の中で漂うように、子宮の中で育っていく子を守るのは母親であり、羊水は子を包み込む。母親の胎内から出た子供が胎内での母親とのつながりを思い起こされるのは、水中なのかもしれない。

マリーの裸体がクロースアップで映し出されてもいやらしさというより、生命の神秘を感じる。彼女の肉体は、花や木々、太陽や海などと同等に映し出されるのだ。
太陽や海、風に揺れる花畑や野原のショットの連続。四季が巡るとともにそれらの変化も映される。

体に指一本触れることをも許さず、お腹に手が当たるか当たらないかの接触のみをヨゼフにマリーは許す。
現代のマリアは自分の体は自分のものだという意識なのだ。

マリーの強い意思が彼女の身体に奇跡を起こし、聖母マリアのような神への従事ではなく、マリーは自分自身と世の生命全体を敬愛していた。
Ricola

Ricola