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311のeulogist2001のレビュー・感想・評価

311(2011年製作の映画)
3.6
震災発生15日目に東京のジャーナリスト4名が現地に入る。

テレビや新聞報道では時間や場面を「意図的」に切り取ってるので、そこには現れずにこぼれ落ちてしまう臨場感があった。

つまり「結果や答え」が明確に定まらない「ありのままの状況」。

まず最初のシーンが印象的だ。双葉郡の原発周辺地域では、実は(当たり前なのかもしれないが)地震前には大きく東電で潤っていたのだ。地域優先枠での採用。地方ではあり得ない高い給与、それがもたらす生活の保障と長期的な安定。第一次産業などの所得の低い仕事しかない片田舎においては原発の仕事に従事していることは好待遇という実質利益と同時に心理的な自慢や誇りにも近いものもあったのだ。

そして一転、「原発被災者」に・・・。

被災以降、公的には誰も口にしていないが、誘致の経緯やそれまでの優遇を考えたら自業自得ではないかとは言わないし、言ったらリベラルの時代にあっては完全なる袋叩きだ。実際に地元の若い右翼らしき?人物が作品の中で、そうした連中が命懸けで火消しに当たるのは当然だと語っていた。
※原発誘致のリスクとその後の厚遇がセットではなく、完全なる勝利と安全しかない都合の良い「賭け」だとしたら、誰が納得するのだろうか?

さらにはその後、補償を得て大きな豪邸が建ち並んでいるのはテレビ報道を注意深く観ていれば分かることだ。(その補償は東電を介して、電気代や税金が入っているのはご存知のとおり)。焼け太りとは言わないが、内心忸怩たる納税者もいるだろう。
※こうした報道や意見はテレビでは見たことがないけれど。

そして石巻の津波の被災地では、そこで行方不明になったままの家族を探し続ける被災者たちとのやりとり。そこには報道への不信感ややり場のない怒り、被害妄想にも似た諍いもあった。また大川小学校の父兄の中ではこの段階から、学校の避難指示や対応のあり方への不信感が語られていたのには驚いた。

災害に遭うことはそれは理不尽で哀しく大変なことは当然だ。誰しもにその可能性はある。ただその際にあっても、いやだからこそ人間としての欲得がいやというほど顕になるのは興味深い。
(実際には特別な被害を受けてもいない被災地出身者が地元を離れた東京などで、おおいに被災地の状況を語るのには心底、閉口したものだ)

被害者意識全開で、怒りや権利、補償を求めるもの、作品中にでてきた医師のように、自然災害も人間の死も自然なことであるならば、虚しいとは思わず、それは自然なこととして受け入れるべきだというひと、感情をコントロール出来ずに、被災者以外のよそ者を敵だと見定めむやみやたらと攻撃する者。

平時以上に、災害や戦争などの有事ともなると「人でなし」が増えてしまうこと。これはれっきとした二次災害だと思う。この事もこころに収めておきたい。
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