慢性眼精疲労でおます

311の慢性眼精疲労でおますのレビュー・感想・評価

311(2011年製作の映画)
1.5
唯一「おっ」と思ったのは冒頭、後日街宣車で福島第二原発へ突っ込んで逮捕されるWとの会話を映像に収めていたところ。他には何もない。

準備不足とは言え映像やらジャーナリズムやらのプロが4人集まったならもう少しましなものを作れなかったのか?

映像はブレブレでピントも合ってない。インタビューもろくにできてない。作り手が何を伝えたいのかもわからない。まるっきりホームビデオの域を出ない。90分まで絞ってこれなのか。

AとA2では制作者達が教団幹部と信頼関係を築くことで踏み込んだ取材を可能にしたところに価値があったと思うんだけど、本作では信頼関係もなにもあったものじゃない。

結局自分達でも何を伝えたいのかよくわからないものができてしまったけど、とりあえず世に出してみよう、それで評価を皆さんにお任せしよう、というやり方(に結果的になっていること)については否定しないけど、それなら最初から値段をつけるべきじゃないんじゃないだろうか。ズレてる。

とここまで考えて、それでもやっぱり何か隠されたメッセージがあるんじゃないかと歩み寄って、3通りの好意的な解釈をしてみた。

==好意的な解釈1==
プロが4人集まって必死にやってもこのクオリティでした、という事実を突きつけることで、そこから想像を膨らませて当時の悲惨さを推し量らせるのが狙いなのかも知れない。

でもそのやり方って回りくどすぎるし、仮に想像を膨らませたとしたも受け手によってバラツキがありすぎる。
そもそも作り手の必死さが垣間見えず、むしろ能天気な様子が見えすぎている。

==好意的な解釈2==
または、「もしもっとましな映像・インタビューをあなたがどこかで見かけたとしたら、それは大勢で押しかけて撮影したり無神経に聞きたいことを聞いた結果ですよ」というマスコミ批判かもしれない。

でも本作の低質さが人数とか良心に起因してるとは思えないから、説得力に欠ける。

==好意的な仮説3==
報道って言うのは基本的にこういう温度感で被災地を訪れる失礼な仕事なんだよ、という姿勢を見せたかったのかもしれない。つまり自己批判。

でもそんなことは当時テレビで散々見せつけられたわけで、わざわざ90分の映像作品、しかもドキュメンタリーとしてまとめることに意味があるとは思えない。

==結論==
つまりやっぱりメッセージが見えなかった。

==気になった点==
前半の福島の件、原発まで8kmのところで左前輪がバーストして立ち往生してるところ。自分達は車にビッチリ目貼りして防護服もどきの装備をしてるにもかかわらず、通りかかった一般人の車の窓を開けさせて警察への伝言を頼むのはどういう神経なのか?

とろろ昆布をつまみに缶ビール飲んだとか、その発言は死亡フラグだ的な趣旨のことを話しておっさん4人がキャッキャしてる様子を見せることで何を伝えたいのか?ファンサービスだとでも思ってるんだろうか。それとも、「平静を装ってはいるけど、実は各々が死すら覚悟してました。すごいでしょう、頑張ったでしょ。」ということだろうか。だとしたら幼稚すぎる。

後半の宮城の件、赤十字病院の石橋医師(2019年現在は院長らしい)へのインタビューにせよ被災者の方へのインタビューにせよ、聞かなくても想像できそうな事実を確認するだけで終わっている。

被災者の方からすれば、唐突によそ者から「やり場のない気持ちがあったら僕らに言ってください、それ(を聞くの)が僕らの役目ですから」って言われても納得感がないだろうし話すわけない。これがジャーナリズムなのか。