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おはんのotomisanのレビュー・感想・評価

おはん(1984年製作の映画)
4.0
 決しておまえに飽いたのではないから、実家の者に迫られて離婚こそ応じたれども女房の縁を絶ちはしないとほのめかす。いったい正気なのか?
 気を惹かれて放っても置けず、あちらにやさを替えるといいわけしながら、いつか目が覚めたら縒りが戻るやもしれんとて未練気でもなく女房を抱きすくめる。それが噓ともつかず情の籠るようでもなく、女房おはんの扱い様を心得てるという風で、この亭主の面妖なというところ。
 借金のかたに一切を投げ出したのだろう残るのは塵ばかりとなった自宅のれっきとした表店を惜しげな様子もなく明け渡してゆく。去り際のお店にも女房にも一瞥もくれない辺りに未練の無さが本当らしく滲む。
 こんな亭主、家がなくなるから立ち退くと、連れてはゆけぬから実家に戻れと言うこの男にきっとおはんは文句ひとつもこぼさないのだろう。黙っていては要領を得ない。

 そんな亭主が石坂で、石坂がいてよかったと思える。それを引き取った女は置屋のおかぁはん、麗子。ならば石坂もこれからは曲りなりのおとーはんと呼ばれるわけだが、実は世間の風も冷たいヒモ暮らし。それでも麗子相手なら7年もあっとの間。
 それがどうか、洒落にもならない古手屋で蝶々ばあさんの軒を借りて無能の人を始めたのもヒモ暮らしをハイ左様でと居直るほどヤクザな気持ちでないがためだが、昼過ぎて掛ける暖簾になにか下心がありはすまいかと疑うのも一つ町で暮らす女房との示し合わせ、別れ際を思い返せばこそ。

 ところがその言葉が叶うまでに7年。真っ当な心がよみがえったわけでもなさ気、一つの浮気に重ねた浮気な再会が古女房に惚れ直したなんて馬鹿な話なら呆れたものだが、まじめな話、疾うに知っていたくせに石坂の子がもう7つになると直に聞かされれば、果たして新しいおもちゃでも貰ったようなうれしさだろうか、それとも子煩悩がすきま風だらけな7年目のこころに花咲かせるのか?
 こうした挙句、縒りを戻そうというでもなく誘う言葉の重みのほどは計りかねる。

 ただの行き掛りと宛てにはしなかった?ところが、おはんが半年もして古手屋を訪れる。7年とこの半年がいわば子供の齢でもあって、この子がこの男と女のこれからひと冬の逢引の数々の果てでふたりに痛撃を加える事になる。
 おはんが消えてた半年こそおはんの最後の見合い話の潰える時期で、それを壊したろう息子の強情が母親の実家での一悶着の種になったとは想像に難くない。そんな強情息子がそうとも知らずに訪ねた古手屋こそ実の親父の隠れ家で、どんな神慮に与ったやら、なぜか息子は一瞥ののち石坂にやけに懐っこそうな顔を見せる。
 あんな笑顔を母親にも見せたことがあるだろうか?このことを母親は知る由もなく、石坂親父もあれが自分にだけ見せた息子の素顔とは思いもよるまい。それと知るのはともに地獄においてだろうか。

 それが話の切り替わりであって、出戻って身ふたつとなり7年の小姑のまた縁談を壊して肩身の狭さが身に染む中、ほんとうに忘れもしなかったのだろうあの亭主。察するに嫁いで奥手なおはんの女を花開かせた亭主の、こんな男でこの力量、というのが麗子を招き寄せる不幸の種でもありという事だ。
 一方、母親のひとふゆの振る舞いなど露知らず石坂親父に馴染む息子が親父の秘めた麗子からの心移りの背中をもひとつ押してゆく。
 一山奥の里に仮住まいして家族三人水入らずと願うのがやけに自然な成り行きにも見え、だからあの子が七つの終わりに神様に連れ去られてしまうのが、どこか石坂の隠された嘘、どうせ暮らしが上向かず困窮から再び妻子を投げ出すものと見透かされたかのようでもある。
 道を踏み外したもの同士ながら、片割れを詰るようにおはんが書き残した絶縁状のひたすら亭主をいたわり倒す言葉のなかで、死んだ子との別れ際、最後の遣り取りでの子の言い淀みの意味を想像するに至らず、ただもう亭主への気遣いへと糊塗する以外に書きようがないらしい。男女の事にかまけたようなひとふゆの末に息子をただ運命に預けてしまった母親の言葉にならない恨み事をこの亭主にぶつけても、ただ甲斐の無さだけが鬱積する。

 だからもうこの世に身の置き場もないように消えてしまう。備中玉島に現れたおはんが湊の遊里で生きているなら、そっとして死ぬに任せるのがいいのだろうか?誰かの影のように生きて、亭主に息子と、主を全て失って、今さら子の後を追うのも、神が召した息子に障りありかと思えば死ぬことも憚られる。
 ならば、実家に逼塞して一家の言いなりに後添い口をあてがわれるよりも、あの亭主が惚れつ惚れらつしたあの苦界で果てようと思う。あの子が神に召されたと称しても所詮は無間地獄に落ちるだけ。ならば、我が身はこの世の生き地獄で息子の苦節を偲ぼうと願うばかりだろう。いつか、この身をあの亭主が訪ねてくるやもしれず、そのときこそあれも覚悟をつけてともにこの世を退いてくれるやもしれない。
 そんな人情噺を尻目にその男は置屋の使い走りで働きだす。今さら息子の地獄をどうしてもやれず、死んで己が地獄を待つ間、もう一人の子、義理の娘になにを尽くせるだろう。
 義理の母、麗子の手際を聞かされてこの世界に自ら踏み込むその娘がこのおとーはんをただの男にしか見ていないとは百も承知だろう。麗子に食われてこの娘にまた食われて更なる地獄に落ちるのが無間地獄に落ちた息子への申し訳となるならもう言葉を費やす甲斐もない。
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