まぬままおま

夢二のまぬままおまのレビュー・感想・評価

夢二(1991年製作の映画)
4.2
鈴木清順監督・大正浪漫三部作第三作。

前作「陽炎座」において現実と虚構は「表裏」の関係であると述べ、それは清順監督の作品群の共通のことに思える。そのように思えるのは、本作のクレジットに「表方」と「裏方」の語をあえて表記しているのを発見したからだ。これには驚きである。

さて、本作もさっぱり分からない(好き)。なんだこれは。

夢二と女たちの話。だけれど駆け落ちの話?殺人鬼の話?復讐話?
夢二の欲望と葛藤はかろうじてあるけれどよくみえないし、夢二に焦点を絞った話でもないから全く分からない。けれど私たちがみて生成された物語が正しいのだろう。それは陽炎のごとく立ち現れては消えるが、確かに物語は生成されている。

印象的なのは黄色のボートだ。船が水面を横切ることは、水上と水面を現実と虚構とし、割く運動として清順作品群の重要なモチーフである。それも面白いのだが、ボートが黄色いのである。黄色である。濱口竜介監督作品の『ドライブ・マイ・カー』では、「サーブ900ターボ」は赤色である。しかし原作は黄色だからわざわざ変更がされている。ならばなぜ本作のボートは黄色なんだ???私は本作をデジタルでみたのだが、より物語世界から浮き足だっており美術として失敗しているように思える。しかし後に判明するのだが、ボートに乗っていた女の夫が、血まみれで湖の底から現れてくるのである。この時、この黄色は血という「赤色」を呼び寄せるための配色であることに気づかされる。なんなんだこれ!!!この表現の意味は全く分からないのだが、感動してしまう。しかも後のシーンは、謎の宴会である。だがその宴会も牛の臓器や肉が登場し、装飾や光は「赤色」で設計されている。摩訶不思議な虚構世界へ私たちは誘われてしまう。

もうとにかく圧倒される。女がぬか漬けにされる画とかね。とにかく見て感じるだけ、ただそれだけだ。

追記
鏡の使い方も他の映画監督とは異質だ。感覚的に、鏡像とその鏡像に語る人物がいる場合、向かい合わせにするはずである。それにより、実際は目と目が合わず向き合っていないのに、心では繋がっている反対に向き合わざるを得ないといった効果がありそうだ。しかし本作の銭湯シーンで鏡を使った会話があるが、そのとき同じ方向に顔を向ける。はっきりいって違和感である。だがそれが、現実と鏡≒虚構の表裏関係を描写するし、虚構に奥行きがあるようにみえて、ない「薄さ」を認識されるのである。

あと表裏の関係を可能にするのは、日本家屋の構造もあると思う。畳の部屋は、襖を開けたら奥の部屋に開かれるし、襖を開けたり移動させたりすることで部屋の意味に可変性がある。