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白く濡れた夏のmasatのネタバレレビュー・内容・結末

白く濡れた夏(1979年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

79と97 、この数字が重要な作品だ。
1979年製作。上映時間97分。

『恋狂い』(71)『新妻地獄』(75)『愛に濡れたわたし』(73)などの傑作を生み出した加藤彰監督作。

私はどこに向かっているのか?
過去の出来事やトラウマから、今の自分が覚束無い主人公たちが、ゴールや原因を探していく、見事なカットバックを多様したミステリー的映画、いや、自分とは何か?彼女は何者か?向かっているのはどこか?を“探る”傑作を世に送り出してきた。

そんな彼が通常の作品より約30分も長い尺で撮った作品。
これは凡長に長い。
理由は明白。
いつもの彼だと、主人公と不倫の恋人、轢き殺した青年の父、この3人で充分創れる筈なのに、若い男と女のコミュニティが、そこに絡んできて、その分、長い。

それもこれも79年という時・・・アメリカン・ニューシネマの残穢がまだ微かに薫り、そこに今まさに始まる80年代の“豊潤”な時代が割って入ってくる、まさしく端境期らしい、無骨な完成度の作品となってしまったのだ。

67年に始まるアメリカ・ニューシネマは、ハイウェイの先に何も無かったというアメリカの惨状を描き、日本のクリエイターにもショックを与えた。
71年に出発する加藤彰も、少なからずそんな衝撃のシャワーを浴びている筈だが、しかし彼独自の視点をデビューから発揮していた。
身体に、肉体に染み込んだ淫欲を媒介に、過去の、相手のトラウマを探りながら、向かっている先を“探っていく”という骨子で展開し、破滅・崩壊を待たずして、主人公は朦朧とし、その覚束なさが、逆に人間らしいカタルシスを持って幕を閉じる、そんなスタイルを構築していた。破滅しないのである!

本作のヒロインは、ラストに“突撃”を決行し、身も心も捧げた男に“激突”するのである。おっ!爆死か!?と思いきや、彼女は死なず、波間に揺れ、朦朧とし、どこへともなく・・・
そして、彼女に初恋の想いを抱いていた青年の漲る瞳が、虚空をギラギラと見つめ、ひたすら彼女を探し回り、終わるのである。
加藤スタイルのヒロインを、淫浴と性を軸に、ここでも強固に貫き、またしても滅亡しない。さらに、豊潤なる時代の生の彷徨いをサラリと描く、まさに79年の映画と言えよう。
79年には『帰郷』と『ディアハンター』が終わり、『地獄の黙示録』が、熱い時代を締め括る時。時代におけるあらゆる薫りと動作を深く吸い込み、自分らしさの中にもがく加藤彰の作家性が存分に感じ取れる名編だ。

しかし、麗しの池波志乃の豊かな膨らみとその中心に位置する大きな黒光る輪を観たくて、一気呵成に再生を押す・・・そんな初期衝動は見事に萎みました。
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