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『ある映画監督の生涯』に投稿された感想・評価

leyla

leylaの感想・評価

3.7
新藤兼人監督が撮った、溝口健二監督のドキュメンタリー。溝口組のスタッフや女優たち39人が語る。

田中絹代、若尾文子、京マチ子、浦辺粂子、山田五十鈴、香川京子、増村保造監督、美術やカメラのスタッフetc.病院の看護婦にまで取材している。時間がかかったろうな〜新藤兼人監督の溝口愛を感じます。

何人かが溝口健二には「嘘がない」「子供みたいだ」という。ふだんは、はにかみ屋で照れ屋で優しい。仕事となると激高したり、妥協を許さず、ピリピリとした現場になるという。こだわり具合がすごいので周りは大変。

女性に切りつけられた話やモナリザの絵の前で泣いた話、田中絹代のことが好きだった話、(楊貴妃など)自分の知らないものの撮影時には機嫌が悪く大騒動になるという話など、素顔が垣間見える。

プロデューサーの永田雅一、脚本家の依田義賢、川口松太郎、撮影の宮川一夫などが観れたのが貴重でした。

「巻物のような絵をつくりたいんだ」
という溝口監督の言葉が印象に残りました。
黒澤明、小津安二郎と並ぶ、戦後日本映画の巨匠である溝口健二監督
その溝口健二と生前交流のあった人々、スタッフや俳優を訪ね歩きながら人間としての溝口健二に迫ってゆくドキュメンタリー映画
「裸の島」「午後の遺言状」「一枚のハガキ」の新藤兼人監督
1975年の作品です。

この映画を観るのは3回目となります。
初見は30年程前にレンタルビデオで観賞。
キネマ旬報ベスト1作品であった事から見たのですが、当時私はまだ溝口作品を1本も観ていない状態でしたので「昔は変わった映画監督もいたもんだなあ」という程度の印象だったのですが、
20年程前にBS-NHKで放送があり2回目の観賞、その時にはすでに何作かの溝口作品を観ておりましたのでその時は大変な見応えと感銘を受けました。

映画は監督の新藤兼人本人がインタビュアーとなっており、たどたどしい朴訥な話かたなのですが内容的には結構鋭く切込んでいきますので観ているうちに、まるでサスペンス映画を観ているような錯覚さえうけるほどです。

圧巻のクライマックスは昭和の大女優 田中絹代さんへのインタビュー
監督と主演女優の名コンビとして、そして仕事を離れたところでも恋愛関係であったのではないかと噂された二人の関係の真相(?)を語る絹代さん。
「映画女優とはかくあるべし!」
小さな可愛いおばあさんからにじみ出る女優、芸術家としての人間的迫力に圧倒されました。

2時間半の長い映画なのですが、観出したら止められず今回も最後まで観てしまいました。

傑作です。
大島渚は小津と溝口の違いを聞かれ、“小津は自分の好みを知っていて、その中で映画を撮っていたのでずうっと幸せだったでしょう。しかし溝口は何を撮ったら良いか解らず、一生もがきながら撮り続けた人です。だから、ずうっと苦しかったのだと思います” と答えたらしいが、良きも悪きも溝口健二は人格破綻者だった。

映画を芸術として捉えていた時代だったし、そして人格に多少問題があっても芸術家であれば許された時代だから存在し得た映画監督だ。“映画監督”という特殊な職業だから周りもどうやって付合ったら良いか解らず、結果的に見守るしかなかったのだろう。こういうドキュメンタリーを見て勘違いする人が居るかも知れないが、もう溝口が生きていた時代の映画はこの世には存在しない。映画そのものが全く変わってしまったのだ。だからこそ、このドキュメンタリーがとんでもなく面白いのだ。

※以下はネタバレ、および自分用のメモとしてほんの一部(これでも)を採録。







<溝口本人>
・昭和31年没。58歳。死因は骨髄性白血病。
・溝口が幼少の頃、父が事業に失敗。湯島から浅草に引っ越す。小学校の同級に川口松太郎が居る。
・無類の女好き(しかし、女優と素人には手を出さず、玄人の女を専門に遊び回った)、酒好き(というより酒乱)、しかしながら普段は非常に寡黙。
・結婚した千恵子夫人は元ダンサー。忌憚のない批評を下す聡明な女性だったが、結婚14年後に発狂。精神病院に入院する。
・晩年まで借家暮らし。


<その頃の映画界>
・大正頃の映画スタジオはガラス越しのグラス・ステージ(ガラス天井)だった。
・大正までは映画の女役は全てオヤマがやっていた。映画監督の衣笠貞之助も最初は女役だった。徐々にカメラの解像度が上がり、オヤマではしんどくなり、女性の出演者が増えるに従ってスタッフの入れ替わりも激しくなった。そういう状況だったので、結果的に溝口の監督デビューも早まった。(初監督は小津安二郎と同じく24歳。やはり早いうちから撮らないと大成しない)
・大正頃の映画は、スタッフや出演者が全く一緒で、衣装だけを変えて2本同時に撮影するなんてことは普通だった。


<周りからの評価>
・日本人が発する感覚を良く知っていたピュア・ジャパニーズだった。(だからヨーロッパで高く評価されたのだろう)
・女を描くのがうまい。特に最下層の女が好きで、そういう女を描くのが抜群にうまかった。(新藤兼人談)
・原点は近松、西鶴、泉鏡花。
・階級意識がもの凄く強い人だった。根っからの官尊民卑。人から褒められるのが大好き。
・戦後の民主主義が解らなかった。みんながえらく変わるので、自分も変わらなければいけないと焦っていた。
・人に奢るのが大嫌いだった。
・人間としての面白みがないし、ユーモアも全くない。(田中絹代談)


<逸話>
・溝口に振られ、結果娼婦になった女に背中を刺された。(その後半年は謹慎処分)
・助監には女に刺された経験くらいないと、本当の女は描けませんよ、と良く言っていたが、刺された現場ではヒイヒイ言って逃げまくっていた。(浦辺粂子談)
・撮影当日になっても脚本がない。とにかくしんどかった。監督はカメラも覗かないので、期待に答えようと必死に頑張った。(宮川一夫談)
・仲の良い役者に、俺の映画のワンシーンに出ろ、それでギャラの半分をよこせ、ということが良くあった。(金にセコい人だった)
・どんなに早くても、現場には最初に入っていた。
・翌日の撮影のために宿屋に入ると、資料を山のように渡され現場に入るまでに読んでこいと言われる。(田中絹代談)
・芝居をしていると言ってNGになる。何度やってもダメ。何故かと聞くと眼が芝居をしていると言われる。またやってもダメ。最後には、あんたの黒眼が芝居してるからダメなんだ、と言われる。(中村鴈治郎談) これを聞いて、新藤兼人は“溝口は出来る人には無理を言うんです。出来ない人には絶対に言わない。”
・忠臣蔵のセットは全部原寸大。美術セットの打ち合わせで青写真を持ってこられたのは始めてだった。(美術監督談)
・忠臣蔵撮影時に千恵子夫人が発狂。今日は撮影はないだろうとスタッフは思っていたが、昼になると監督がやってきた。さあ撮影を始めよう、と言う。椅子に座った時、監督を見るとボロボロ泣いていた。(奥さんが発狂した原因は自分にあったと最後まで思っていた。)
・熱燗のコップ酒に塩辛を混ぜて呑むもんだから、痰壷を呑んでいるようで気持ちが悪かった。(助監督談)
・癇癪を起した溝口に“あんた脳バイじゃないか?”と言われた菅井一郎は、正直に病院に行った。(当然ながらなんともなかった)
・時間が勿体ないからと言って現場に尿瓶を持ち込んでいた。(乙羽信子談) それは外に出ると気分が変わってしまうからだ。(と新藤兼人)
・ロケーションはいつもニコニコしている。セットでは鬼のような顔をしている。
・人に良いと言われるものはなんでも飲むし、なんでも食べる。おかげでいつも下痢だった。(助監督談)
・普段は非常に恥ずかしがりやなのに“ヨーイ、ハイ!”と言った瞬間人格が変わり、人を容赦なく責める。
・あの人は反戦映画を撮るような神経はない。(新藤兼人談)
・ぎりぎりまで絞られた。私の演技のせいで撮影が中止になったりするのでとても辛かった。最後はお前の顔がダメなんだとまで言われた。(若尾文子談)
・本人曰く。“ゴッホを勉強しなさい。あの人は気違いになったのです。芸術家は気違いにならなくてはいけません。”
・(カンヌで)“もし賞が取れなかったら、日本には帰りません。イタリアに行って勉強し直します。”

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