タルコフスキーの鏡が早稲田松竹でかかるというので行ってきた。鏡を単品で劇場で観られる機会なんてもうなさそうだもん。
知らない人のために言っておくと、鏡はタルコフスキーの最高傑作だといわれている映画。評論家が選ぶ名作映画ベスト30みたいな企画でもよく上位にランキングされている作品だ。
「映画監督が選ぶ史上最高の映画」では堂々の9位!
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何十年も前に一度観たきりで、そのときはさっぱりわからなかった。でも今ならもう少し理解できるようになってるかもと期待したが、当時とほとんど印象が変わらなくて笑ったw 成長してねえな自分。
とはいえ、わからないものをわかった気になってたあの頃と違い、わからないものをわからないと受け入れられるようになった違いは大きい。
そもそもこれは理解する映画ではない。そうこれは感じる映画なのだ。それがわかった時点でかなり前進しているといえるかも。
なんてことはない、タルコフスキーの記憶の断片を芸術的に配置してるだけなんだよ。彼の思い出スケッチブックをパラパラとランダムにめくる感じ。
母や妻と自分の私的な記憶とともに時代の風景やその時々の情緒と一緒にフィルムに封じ込めた感じ。
何度も現れる水と火のモチーフになんらかの意味があるような気がしたが、読み解けなかった。正直、それを追究しようってほど興味が持てないのよ。
トーンは、溢れんばかりのイメージの洪水ではなく、映像の詩人らしく、夢のように印象的なシーンの断片が現れては消え、ポエトリーリーディングのように淡々と自身の心情を読み上げてるような感じ。アートっぽくとっつきにくい。
それでもブリューゲルの「雪の中の狩人」のようなシーンではハッと息を飲むし、フェルメールのような陰影あるライティングの妙にゾクッとするのだが、ストーリーらしきものがないので集中できない。
もちろん「彼の作家性に紐づく情動を、湧き上がる記憶の景色の中に垣間見ることで得られる知と情の興奮。本作を観ることで彼の作品群がより深く理解できる」…なんてもっともらしい褒め方はできるけど、そこまでいうと嘘になる。
正直いうと退屈なんだもん。無聊なのだ。そこまで彼個人の過去に興味はなくて。
とはいえ、何を見せられたんだろうっていう独特の感触はあって、観賞後に不意にシーンが脳内に蘇ったりするから、そこはやはり名匠のつくった奇跡のひとつなのだろう。
新文芸坐でたまに企画されるタルコフスキーオールナイトでは毎回多くのファンがつめかけるが、次々と睡眠の罠に落ち、快なるいびきがそこかしこで観測できる。観客を眠らせることにかけては最強の監督なのだ。もちろん眠っていい。むしろ眠りとセットで味わうべき作風なのだし。うとうとしたときに深層心理に働きかけてくる魔法はタルコフスキー作品でしか味わえないのだ。そういう意味では鏡は最も真相心理に働きかけてくる作品といえる。
タルコフスキーが好きで好きでたまらないという人はすでに観ているだろうが、この最高傑作を一度も観たことがないって人は、この機会にぜひスクリーンで観ておいた方がいい。観ただけでなんだが偉くなったような気がする作家性の罠にハマって、わかったようなレビューを書くも良し、全くわからないけどなんか印象に残ったと正直に本音を漏らすも良し、ただただ爆睡した、あるいはクソくだらなかったとこき下ろすもよし。芸術映画はいろんな反応すべてを許してくれるんだから好きなこと言おうぜ。
最後に、観終わってから近くの磯丸水産で蟹味噌甲羅焼とカニ炒飯を頼んで、混ぜて食った感動が映画を大きく上回っていたことを付け加えときます。早稲田松竹で観るなら、これも併せたコースでの鑑賞をオススメします。