りっく

ポエトリー アグネスの詩(うた)のりっくのレビュー・感想・評価

4.4
世の中には「美」と「醜」が溢れている。
けれども、100%「美」だけ、あるいは「醜」だけ存在する世界などあり得ない。
「美」があるからこそ「醜」が際立ち、「醜」があるからこそ「美」が際立つ。
そのような意味で「美」と「醜」は表裏一体であり、相互関係であり、共存しているのだ。

本作の主人公である1人の老婆は、詩を書くために日常の中の「美」をひたすら探し求めて彷徨い、苦悩し続ける。
BGMを一切排した劇中では、様々な音が聞こえてくる。
川がせせらぎ、鳥がさえずり、木の葉が風で揺らぐ音。
そんな「美しい音楽」に耳を傾けても、彼女は詩を書くことができない。
なぜなら、「醜」の世界に足を踏み入れて初めて、「美」を見出すことができるからだ。

彼女はほとんどの場面で単独行動する、孤立した存在だ。
彼女の身の回りにいる娘や、孫息子や、勤め先の人々も、彼女の話を真剣に聞こうとはしない。
ここで、イ・チャンドンが素晴らしいのは、登場人物たちをはっきりと色分けしないことだ。
主人公も含めて、あらゆる登場人物にも「美」の部分があり、そして「醜」の部分があるという余白を残している。
それでこそ人間なのだと分かっているからこそ、彼の作品には魅力的な人間たちが次々と登場するのだと思う。

彼女は我が身に降りかかってくる過酷な現実から、距離を置こうとする。
しかし、そんな現実を直視して初めて「美」を見出し、一篇の詩を書き上げることができるのだ。
それは何も本作の主人公に限った話ではない。
それこそが芸術活動であり、それこそが映画を撮る意味なのだとイ・チャンドン自身も感じているのではないか。
だからこそ、真の「美」を探し求める彼女を、物語は決して見捨てようとしない。
その温かな眼差しに照らされ、観る者の心の中に深い余韻を残しながら、完成した詩から言葉が浮かび上がっては消えていく。
そこには、確かな「美」が存在していると思う。
りっく

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