デニロ

ポエトリー アグネスの詩(うた)のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

2010年製作。脚本監督イ・チャンドン。

アルツハイマーの老女が詩を書き始める話かと思っていたら。

川から少女が流れて来る。冒頭のシーンだ。その少女の死に嘆き悲しむ母親を横目で見遣る主人公のミジャ。ミジャは腕の調子が悪くて来院したのだが、言葉に詰まる受け答えに疑念を持った医者の問診で物忘れをよくする云々と話していると、腕はすぐ治るけど、あなたアルツハイマーの症状があるから大きな病院で診てもらいなさい、と紹介状をもらったところだ。

詩の創作教室の生徒募集のポスターを見かける。募集期間は過ぎているわ、と言いながら家に戻ると孫の中学生ジョンウクがゴロゴロしている。さっき自殺した女の子のお母さんを見たよ。お前の同級生だっていうじゃないか。知ってるのかい?知らない、とそっけない。詩の創作教室の事務所に出向いて、聴講したいんだけどと願い出てみるのにも実にのんびりした感じで、事務局もやれやれという感じで断れない。教室の講師は本当の詩人らしく、ミジャの場にそぐわぬ素っ頓狂な質問にも、それこそが創作の本質だ、という風に丁寧に説明する。講師は、詩の創作の根源は見ることだ。小さな事柄から大きな事柄まで、世界を見ることだ。皆さんの人生でもっとも美しい瞬間を紹介してください。そして、この教室の終了までに必ず一篇の詩を書いてくださいね、と宿題を出す。

ミジャは、家の中で、街に出て、人に会い、気の付いたことを小さな紙束に書きつけて記録する。美しい花盛り、美しい雲、美しい言葉。でも纏まらない。リンゴをジッと見つめる。自分の言葉にはならない。リンゴは食べるのが一番、そんな風に呟いて笑っちゃう。そんな頃、ジョンウクの友人の親から電話がかかる。ジョンウクの仲間たち6人の父兄が集まって相談事があると連れて行かれる。話の流れから、よくないことなんだろうとそう思う。件の自殺した少女は、彼らの息子に学校の化学実習室で繰り返し凌辱されて、それを苦に自殺したと。それを知っているのは学校の幹部と、担任教員、少女の母親、警察くらいでマスコミにはまだ知られていない。示談。すぐに何とかしよう。そんなことだった。

ミジャの小さな世界が大きな音をたてて崩れていく。ジョンウクの母親に連絡してもどうにもなるもんじゃないとわかっている。自分の娘だけれど、あれは母親じゃない。示談の分担金500万ウォンなんて、今のわたしにそんなお金出来るわけないじゃないか。生計は、公的保護と介護のヘルパーでたてている。収入は少ない。ある時、介護していた小金持ちの老人に性的サービスを求められた。バイアグラを飲んで屹立した悪魔の尻尾を振りかざしてきた。わ、わたし66歳よ。そんな風に人生に波風が立たないわけじゃないことを知っていたはずなのに、更に孫までがわたしの重しになるなんて。この世界のどこに美しい瞬間があるというの。

ミジャは少女の葬儀に行く。少女はキリスト教徒でミドルネームはアグネス。斎場の入り口に置いてある少女の写真。あどけなくてかわいらしくてやさしげに微笑む。思わず手に取り持ち去ってしまう。ジョンクウのしでかしたことが重くのしかかる。

詩の朗読会でくだらない下ネタを披歴する参加者がいる。刑事だという。笑う人もいるけれど、わたしには耐えられない。詩を冒涜していると告げると、きれいは汚い汚いはきれい、シェイクスピアみたいなことを言う。彼は刑事だ。仕事は人間を見つめること。わたしが花や鳥や風や月やリンゴを見つめているように、彼は人間を存分に見つめる。人間の表面も裏面も見ることができるのだろう。わたしが疲れ切っているところに黙って傍で佇んでくれたのは彼だけだ。

他の親から示談の交渉に行ってくれと頼まれて出向いたアグネスの家。のどかな田畑のある村。あぜ道を歩きながら草花を見つめて記録する。野良仕事をしているアグネスの母親に出逢う。声をかけると手を止めてくれる。にこやかにお天気の話なんかして、それじゃ、って別れて背中向けて歩き始めて、あ、肝心なお話を忘れていた。

記憶を失う前に宿題をやり遂げなくては。ミジャは、少女の写真を胸に少女の事件の行跡を辿る。凌辱が繰り返された化学実習室、少女の飛び込んだ大橋。風に飛ばされたミジャの帽子が何かに呼ばれたように川に落ちていく。突然の雨。思いの紙束に雨粒の色が被さる。ミジャは思う。この世の美しいものは醜いこころと背中合わせだと。そして、もう行くまいと決めた小金持ちの介護に出向く。バイアグラを飲ませて屹立した老人の思いを果たす。わたしだって悪魔になれる。

示談金を6人組のひとりに貸してもらえないか頼み込むが、にべもなく断られる。切羽詰まった揚げ句、小金持ちの老人の下に駆け込む。500万ウォンください。借りても返せないのでください。家族の前で勢い込む。脅してるのか。そうとっても構わない。ゲームセンターで6人組と遊んでいるジョンウクを探し出して連れ出す。ピザを食べながら、規律正しく生きろと諭す。夜、ふたりでバドミントンをしていると、件の刑事が同僚とパトカーでやって来る。ジョンウクを呼びだして、お婆さん、俺とバドミントンしよう。同僚がジョンウクをパトカーに乗せ連れ去る。もうできることはすべてやったと、刑事に抱かれて泣き崩れるミジャ。

約束の日。教壇に小さな花束が置かれている。講師がありがとうと言うと、それはわたしたちからじゃありません、ミジャさんからです。この詩もミジャさんのものですね。他に詩を書いてきた人は?ミジャさんは?もうここにはいないミジャの7連の詩。題名は、「Poetry Agnes」。ミジャのやさしげな声で読み上げられていき、たゆたうゆったりとした川の流れが重なり、ミジャのアグネスの幼い頃の写真がインサートされ、アグネスの声に変わる。

そこはどうですか/寂しいですか/夕方にはいつものように日が暮れ/森に帰る鳥の歌声がきこえますか/送れなかった手紙を/受け取ってくれますか/伝えられなかった告白は/届きますか

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ヒューマントラスト有楽町 イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K にて
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