ヤンさんの詩がよく分からなくてもよく見て何度も噛み締めることで、苦かったり、苦しかったり、辛かったり、辛かったり、つまらなかったり、面白かったり、美味しかったり、と味が染み出す映画。
詩は若者に人気がないと言う。そんな若者を知るには、詩の創作みたいに彼らをよく見なければならない。
ヤンさんはよく分からない孫をよく見ようとし、またその孫も加わった集団性的暴行事件が原因で自殺した少女の現場等へ赴き、そこで何かを感じようとしたが、その時は詩が浮かばなかった。
そして、その足でヤンさんは、前に性行為を懇願していた被介護者の老人と事に及ぶ。
お金を無心する打算も頭の中にはあったかもしれない。だが、被害に遭った少女の気持ちをヤンさんは少しでも感じようとしたんだと思う。
物語のラストでは、示談が成立しかかるところで、突然孫が警察に連行される。おそらくヤンさんが通報(刑事告訴?)したように思われる。
ヤンさんの決断に、今まで彼女をよく見てきた観客は胸が締め付けられる思いをするだろう。
そんな彼女(達)が最後に朗読する詩をとくとご賞味下され。