天馬トビオ

裸の十九才の天馬トビオのレビュー・感想・評価

裸の十九才(1970年製作の映画)
3.0
冒頭、フェンスにもたれかかって米軍住宅をぼんやり見ている青年の足元に子犬が近づいていく。じゃれつく子犬を何のためらいもなく蹴り上げる青年――。

この短いシーンで、ぼくの永山則夫に対するイメージが一転する。それまで永山に対しては、劣悪な家庭環境、貧困、上京後の差別や疎外感など、彼自身を取り巻く理不尽な環境が犯行の淵源にあり、そうした高度経済社会の歪みが生んだ悲劇みたいな、どちらかと言えば悲劇の青年というイメージを持っていた。もちろん、この映画で描かれた永山則夫がどこまで真実の姿かはわからない。だけど、映画の永山はただの甘えん坊で自己中心のクソ野郎じゃないか。自己主張することもできず、職業を転々とし、女を抱き、ただ流されていくだけ。にっちもさっちもいかなくなれば故郷の母親を頼り、うまく行かなければキレまくる……。この映画で描かれた永山則夫にはまったく感情移入できなかった。

先に書いたように、ある時期、永山則夫は昭和という時代が産み落とした鬼っ子的に扱われていた。新宿の喫茶店で若き日のビートたけしと一緒に働いていたという逸話。連続射殺事件の犯人で、逮捕された後、何も知らなかった自分自身を「無知の涙」と悔い、文章をもって社会を告発し続けた死刑囚……。

劇的人生を報じていたマスコミの影響もあったのかも知れないが、ぼくにとって永山則夫は社会矛盾の象徴でもあった。それをいとも簡単に覆した新藤兼人監督渾身の作品。セカンドオピニオンの意味も含めて、次はぜひとも足立正生の『略称・連続射殺魔』を観てみよう。
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