階段落ちや「コレがコレなもんで」はいろんなところでみかけていたけど、本作を観るのは初めて。ドタバタでアツい芝居に最初は引いていたけど、その勢いのまま、いつのまにか物語に引き込まれていった。やはり、長年愛される名作というのは、どこか寓話的なところがあるような。
以下、内容に触れています。
これは、ヤスが「階段落ち」という通過儀礼を経て、一人前の男になるお話だと思った。
いっぽう銀ちゃんは、ヤスのことは子分のように従えていたようでいて、実はヤスに甘えてばかり。初めて真正面からふたりが対峙したその時、それまでのふたりの関係性が、やっと完結する。そうして初めて、銀ちゃんも、スターとして生きていく覚悟を決められたんじゃないか。
階段でのシーンは、完全に銀ちゃんとヤスのふたりの世界。撮影所の外の柵越しにヤスを呼ぶ小夏は、文字通り蚊帳の外だった。
この階段のシーンは、恋愛関係にも似たヤスと銀ちゃんの最大のラブシーンでもあり、決別のシーンでもあるように感じる。
それに次ぐのが、階段落ち前夜にヤスが小夏と暮らす部屋でめちゃくちゃに暴れた後、小夏を抱きしめて彼女への想いを語るシーン(これを常習的にやると、ヤバいDV男になるけどね)。
小夏は健気で素直ないい女だと思う。笑っていてほしいし、幸せになってほしいキャラクターだ。でも、正直言って、あんまり小夏を褒めたたえたくもない。こういう女をありがたがって美化して、耐えたり待ったりする役目に女を押し込めようとするのは好きじゃない。たぶん、小夏が頑張ったのは、この時代や彼女の生活歴からして、ほかに方法がなかったんだよ。
風間杜夫の綺麗なお顔とスター性。松坂慶子の美しさ。でも何より平田満がとてもよかった。
本作は、さりさりさんとキャサリン子さんのレビューから、鑑賞のきっかけをもらいました。
当たり前だけど、「なんとなく知ってる」と「実際に観たことがある」とは全然違いますね、観てよかった。ありがとうございます!