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ツリー・オブ・ライフのodyssのレビュー・感想・評価

ツリー・オブ・ライフ(2011年製作の映画)
1.5
【カンヌ映画祭は宗教に弱い?】

・・・というようなタイトルにしたけれど、私は別段カンヌ映画祭に詳しいわけでもない。ただ、むかし『ミッション』という、ヨーロッパの南米侵略をカトリック聖職者によって糊塗しようとした不愉快な映画に最高賞を出したり、つい昨年は『神々と男たち』というやはりカトリック聖職者を描いた映画に特別賞を出したりしているので、もしかしてカンヌ映画祭って宗教的な映画に弱いんじゃないか、と疑ってみたくなったのである。

で、この映画である。1950年代アメリカの、平凡な家庭を描くことに大部分は終始している。家父長的で抑圧的ながら彼なりに息子たちを愛している父親、優しく忍従的な母親、三人の息子たち。そういう部分は、まあまあ面白い。抑圧的な父親を演じるブラッド・ピットなんかはまり役だと思ったし、優しく忍従的な母親役のジェシカ・チャスティンもなかなかよかった。

家族で食事をとりながらバックグラウンド・ミュージックにブラームスの交響曲第4番をかけるなんてのが、ううむ、と思ったが、父が音楽を志しながら挫折した人であるということが分かってくるとそれなりに納得できた。

でもね。そういうリアリズムに基づく部分と、最初と最後の、宗教的、もしくは地球の生命の流れを俯瞰する神秘的な映像は、どう見てもうまくつながっていないんだね。

母親は宗教的な人だったということになっているけど、それが息子たちの思想や生き方にどう影響を与えたか、この映画ではほとんど描かれていない。父親の抑圧が、逆に息子たちを宗教性や神秘主義に走らせたという筋書きならまだ分かるけど、そういう筋書きではない。

そもそも、中高年にさしかかった長男を演じるショーン・ペンが何の仕事をしてどういう家族を作り日ごろ何を考えているかが、この映画からはよく分からない。「ショーン・ペンとブラッド・ピット初の共演」なんてキャッチフレーズがむなしくなる。彼らはこの映画では事実上、共演なんかしていないよ。

親だって人間だ。自分の子供たちにいつも模範的に振舞えるわけではない。子供からすれば抑圧的だったりウザかったりすることは珍しくない。そして子供時代には耐え難い親だと思っていたけれど、自分も親になったり死期に近づいたりするとそれなりに理解できたり赦せると思ったりすることも珍しくない。

珍しくないから映画にするなと言っているのではない。珍しくないことが地球の生命の流れや宗教性と結びつけられる、その手法が、どうにもサマになっていないと言っているのだ。

日本の場合だと、原爆を題材にした映画は何となくクサしちゃいけないみたいな雰囲気があるけど、もしかしてそれと類似した事情があるのだろうか?
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