ワンコ

家族の肖像のワンコのレビュー・感想・評価

家族の肖像(1974年製作の映画)
5.0
【バーンスタインとカール・ベーム/今、観て欲しい作品】

この作品は対比に加え、集合のベン図のキャップのような仕掛けが幾重にもあるようで考えさせられる。

画商の持ち込んだ絵画が、教授の言うように1750年頃の作品だとすると、あの作品の風合いも含めて、ロココ美術にカテゴリーされるものじゃないか。

ロココ美術の絵画は、人気という点では劣るのかもしれないが、カラヴァッジョやレンブラント、フェルメール、ベラスケスを生んだバロックから続く18世紀前半から半ばのフランスを中心に盛んになった美術様式で、絵画はイギリス、イタリア、ドイツ、スペインなどにも広がり、後の近代の新古典主義やロマン主義、写実主義につながる実は重要な時代だ。

こうした古典絵画の価値を理解するという点では、教授とコンラッドは共通するものがあるのだ。

この作品は、端的には、貴族社会が、新しい価値の流入で崩壊していく様を表してると言われているが、「家族の肖像」を通じて、実は、この時代とロココの時代を暗に対比させて、人々の価値観も様々に変遷するのだと言っているような気がする。

教授とコンラッドの対比をして、共通の価値を見出し、理解しあいながらも、突き動かされるものや、未来への志向、目指す価値が異なることに直面している、当時の揺れ動く社会情勢や価値観を非常に良く表現している作品だ。

(以下ネタバレ)

教授は、科学を専攻したが、同時に科学の進歩が社会にもたらす危機を感じ、美術に転じた。

ネット社会における監視のみならず、この作品が制作された時代の世界情勢を考えたら、核技術やミサイル技術の進歩は懸念の一つだったと思われる。
現在、ウクライナ戦争にあって劣勢のロシアのプーチンが核の使用をほのめかしていることは皮肉だ。

コンラッドは、美術史を学んでいたが、学生運動にのめりこみ、社会に深く失望してしまっている。
合理的と考えられても、合理性を受け入れられない人もいる。右翼などは代表的なものだと思う。また、新しい思想も常に不安定に分裂し内部対立も多く、結果として、国民や市民の幸福よりも、思想が優先される事態となりかねないという負の側面も有している。過去にあった日本の過激派思想の運動もそうだった。

教授の好きなバーンスタインは当時は革新的な指揮者として知られていた。
僕が、中学の時に、自分のお小遣いで初めて買ったクラシック・レコードは、バーンスタイン指揮のフランス国立管弦楽団、ベルリオーズ「幻想交響曲」だった。
ただ、革新的とは言っても、この作品で紹介されるレコードで指揮するのは古典のモーツアルトのアリアだ。
革新とは解釈のことで古い価値を杓子定規に否定することではないはずだ。バーンスタインの解釈の帰結が演奏なのだ。

これに対し、コンラッドの愛するのは、カール・ベームだ。
ウィーン・フィルの常任指揮者にして重鎮。戦中、戦後を通じて多くの指揮者の憧れの人で、カラヤンが好きか(カラヤンの方がずいぶん若手のように思うが)、カール・ベームが好きかと議論している大人の話を聞いたことがある。バーンスタインのみならず、カラヤンでさえ、対比の対象になるのだ。
この議論をしていた人たちの話の詳細はもう忘れてしまっているが、若い頃のカラヤンと歳を重ねてからのカラヤンも違うし、人自身も移り変わるのだと僕は思う。

人と人の意見をすり合わせることは大変だ。
だから、無理に落としどころを探らずに、多様であることを認めさえすれば良いのではないかと思う。

革新的な社会を目指そうと、古典を愛する人は沢山いるし、保守的と言われる人の中にも、新しいものに理解を示し、合理性を大切にする人もいる。

とかく二項対立で論じられがちな世の中だが、人はそれほど簡単な生き物ではないし、多様な世界の中で変化・進化してきた生き物なのだ。

この映画の結末は悲劇だ。

この作品は、この結末を美化しているのだろうか。
世界は、こんなもんだろうと、諦めてみたのだろうか。

社会とはこんなものだ...古い価値は崩壊するのだとする人もいると思う。

僕も、そんなふうに感じたことはあった。

でも、今一度観てみて、この結末をそのまま受け入れるのではなく、多様であることを認められる方が、人間の知恵としては、より素晴らしいのではないかと考えるようになっている。

無常は、日本の心の底に根付いたものだと思うが、同じ作品でも観る時代背景や年齢で感じ方は異なるのだと改めて思った。

※ このレビューを書いていた日は、安倍晋三元首相の国葬の日だった。ニュースで、国葬より外国人保護にかかるお金の方が無駄だ、止めさせろみたいなツイートがトレンド入りしたと言っていた。頭を抱えてしまった。論点はズレているし、彼らはズレを認識できてもいない。こうした人に何かを共感することは無理なのかもしれない。
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