工藤蘭丸

家族の肖像の工藤蘭丸のネタバレレビュー・内容・結末

家族の肖像(1974年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

これは日本ではヴィスコンティの死後に公開されて、ヴィスコンティブームが起こるきっかけとなった作品でしたね。私は封切り時には貧乏学生だったので金欠状態で観に行けず、1年以上経ってから後楽園シネマかどこかの2番館で観たような覚えがあるけど、その時にこの映画のポスターを買って、何年間も部屋の壁に貼っていたものでした。

と言っても、初めて観た時はあんまり良く分からない映画だったような気がするけど、豪華な室内セットの美しさなどに惹かれてポスターを買ったのかな。ちなみに、当時の私は絵画やクラシック音楽などにはさほど興味がなかったんだけど、ヴィスコンティの映画を観て、このようなゴージャスな生活への憧れもあって、それらにも親しむようになったものでした。カミュやトマス・マンなどの海外文学に興味を持つようになったのもヴィスコンティ作品の影響だったかも知れませんね。

本作はその後しばらく観る機会がなくて、数年前にリバイバル公開された時に久し振りに観て、今回またテレビで観てみたんだけど、これはやはりヴィスコンティが自身を投影したと思われる、死期の迫ってきた老人の心境を描いた作品なんでしょうかね。ヴィスコンティは脳梗塞になって、車椅子の上からの演出だったようで、やはり元気だった頃の作品と比べると、演出力に翳りも感じられるけど、それが逆にまた滅びの美を感じさせて、味わい深い作品になっていたと思います。

私は健康なのでまだ死は意識してないけど、やはり年齢的には教授の心境に近づきつつあるのかな。私も独身で子供もいないし、今の若者文化にはなかなか付いて行けないようなジェネレーションギャップも感じているし、数年前に20歳の女の子に好意を持たれた時にもやはり受け入れることは出来なかったし、どんどん右寄りの政治に傾いて来ている社会にも憂いを感じているし、こうして並べてみると教授にそっくり。でも、自分はこのような最期は迎えたくないかな・・・。

本作には貴族の退廃ぶりも描かれているけど、シルヴァーナ・マンガーノが演じた侯爵夫人の役は、初めはオードリー・ヘップバーンにオファーされたらしい。ヘップバーンとしては、このような汚れ役は受け入れがたくて断ったのかも知れないけど、もしヘップバーンが演じていたとしたら、また違った印象の作品になっていたかも知れませんね。