Machiko

家族の肖像のMachikoのレビュー・感想・評価

家族の肖像(1974年製作の映画)
4.0
静かに暮らしてる主人公のもとに突如距離感バグりまくりの客人が来て……という冒頭で、すわアロノフスキーの「マザー!」路線かと身構えたが、べつにそんなことはなかった。私は心のATフィールドがめちゃくちゃ堅牢かつ分厚いタイプの人間なので、なんだかんだ絆されていくバート・ランカスターの姿には「歳食うと人間こうなんのかなあ……やだなあ……」としか思えなかったが、音楽や絵画でコンラッドと精神的距離を縮めていく様にはオタク特有の慣用句「○○好きに悪い人はいない」を想起させられてオタクとしては「あー……」(身に覚え)となったし、落第忍者乱太郎で紹介されていた「風流で取り入る術」はやはり有効なのだと尼崎の方角に向かって(正確な方角分からんけど)思わず平伏した。あといっつもいっつもいっつも思うんだけど性器にモザイクかけんのほんとやめて欲しい、別にちんこが見たい訳じゃなくて(それじゃあ変態だ)、単純に映画鑑賞中って作品内に入り込んでそこをリアルだと思って観てるのに、モザイクみたいな現実に存在しない異分子を挿入されると「あっ…作り物…や……」と冷水頭にぶっかけられて精神が作品内から弾き飛ばされるんよな。現実と虚構の区別を自分なりに付けているからこそ安心して作品内にのめり込んでるのに、作品自ら首根っこ掴んで引きずり出して「これ虚構よ!分かってる?!虚構!!」ってやるのやめて欲しい本当に醒める。モザイクかけるくらいなら最初から映らない画角を探すべきだし、一旦カメラに映したのなら自信もってそのままお出ししてほしい、レイティングかければ問題ないんだし、もっと言えばそもそも性器なんてほとんどの人間が持ってる当たり前の体の一部なのだから結合中とかでもない限り全年齢で普通に映せばええやん、当たり前の光景なんだから。話を戻すけどヴィスコンティ、不勉強でこれとあと山猫とベニスに死すしか観てないんだけど、今のとこ全部耄碌しかけたジジイが時代に必死に抗いながらしかし静かな死へと歩みを進めてる映画で、ヴィスコンティの老いと死への覚悟の強さに感服するし、同時に、再編集版という名の改悪版ゴッドファーザーPart3(マイケルの死や老いによる弱さの描写を尽く削った改悪ぶりは老境に至ったコッポラ自身の死への恐怖のあらわれであると私の中で話題)を数年前に発表しやがったフランシス・フォード・コッポラに、私はなにがなんでもヴィスコンティの爪の垢を煎じて飲ませたくなってしまう……。またゴッドファーザーの話でレビューを終えようとしてしまう私をどうか許してくれ、ゴッドファーザーきっかけで映画観るようになったようなものだから私は……
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