まずデジタル完全修復によって鮮やかに甦った「家族の肖像」を、圧倒的多数のご年配の方々に囲まれ、大画面スクリーンで堪能できたことに深く感謝です。
前作「ルートヴィヒ」の撮影中に倒れて以降、車椅子での生活を余儀無くされたヴィスコンティですが、
移動範囲の限られた室内劇にすることで企画が進められた本作。
多数の美術品に囲まれながら豪邸でひっそりと暮らす老教授をバート・ランカスターが再び演じ、
「山猫」同様、まったく異なる新旧世代の関わり合いを通して、過去と未来が今にも融和しようとする儚き瞬間を重厚に描きます。
最愛の母も妻も亡き今、絵画中の「家族」の姿に取り憑かれながら暮らす老教授の元へ、突如70年代という新しい時代を象徴するかのような奔放ブルジョワ家族が舞い込み、
夫人の愛人である美青年コンラッドが老教授にまったく新たな感情を抱かせます。
このコンラッドこそアラン・ドロンの後釜に咲いたヴィスコンティの"未亡人"ヘルムート・バーガー。
その美しさ故の狂気と危うさ。
そして何より類い稀なる芸術への造詣を見せたコンラッドに強く興味を示し、
一方で彼に精神的な息子の役割を託そうとする老教授。
彼の静謐な余生を掻き乱す迷惑一家との関わりを持つ間、次第に錯覚にも似た「家族」としての意識が芽生え初め、過去に執着し続けた老教授に新しい時代を受け入れる余地を残します。
暗闇の中、煙と共に若者たちの裸のシルエットが浮かび上がる美しさ。
唐突に打ち砕かれた団欒。
身体を壊し老境に入った貴族の末裔ヴィスコンティが、後世に引導を渡すことを躊躇しないのは
理解し難くもこうした見込みある新世代の台頭を受け入れ、またそれ以上に彼自身にも実りある映画人生を全うしたという自負があってこそなのだと思います。
そしてその飽くなき創作意欲は、とうとう彼の遺作となる「イノセント」へと向かうことに…。