このレビューはネタバレを含みます
帰省した箱入り娘(白人、富裕層)が連れてきた黒人のフィアンセに、困惑する両親を描くお話。
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◆どうしても歴史のお話を。
本作は1967年の現代劇。ときは差別撤廃、市民権獲得を訴えた、公民権運動のまっただなかだ。
1963年、運動の旗手、キング牧師による有名なスピーチI Have a Dreamでは、当たり前で実現が難しい未来の姿が語られている。
1964年の公民権法制定で、法の下での平等は成ったが、経済的な格差、はたまた人の感情はどうか?
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◆今日差別的と取れる、発言、価値観が多い。
フィアンセ(黒人)は、次世代を担うと期待される、世界的に著名な医師なのだ。
それが決して誇らず、それどころか娘さんと結婚することに問題があると自認し、決して理不尽だとは怒らず、両親が反対なら引き下がると宣言する。
白人家庭に受け入れてもらうためのハードルがとてつもなく高い。夢も希望もないじゃないか…当時の美徳?はもはや卑屈さと受け取れてしまう。
片やリベラルを自称する新聞王である娘の父(白人)は、我が娘の「問題」として綺麗事が他人事でなくなった瞬間、本心が滲み出る。
ラスト、新聞王が長々とご高説を垂れるシーンは絶叫もの汗※本当は和解して、2人の門出を祝うシーンです。
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もちろん本作の筋の一部は、意図的に立場の違いを描いているだろう。
初めてフィアンセと父が並び立つシーンで、弱々しく見える父の姿から、正当性の欠如や権威のなさが示唆されるし、
街へ繰り出した夫婦の、アイスクリームのくだり、それに続く事故は、本作の両親が抱きつつある心情を代弁している。
※違っていたら恥ずかしい汗
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◆価値観の問題
結局、このお話でつまらないものに囚われない素敵な娘を育んだのは、両親が生み出した環境にあったのではと類推する。
きっと両親は家政婦のテイラーに感謝し、リスペクトを持って接してきたのではないか。それが例え世間体などに由来していたとしても関係ない。
白人、黒人に垣根のないことが普通である価値観が1つ育まれたのなら…
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この「ふつう」が難しい。実体験や映画から不意にハッとさせられ、姿勢を正す。せめていつまでも柔軟でありたいもの…
誰が夕食に来ると思う?という真心のこもった原題にこそ、見習うべき姿勢がある…なーんてw
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・いい歌だ〜
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ルック0.5
シナリオ1.0
役者0.5
深度1.0