プリオ

悪魔を見たのプリオのレビュー・感想・評価

悪魔を見た(2010年製作の映画)
5.0
今作で行われる「本当の復讐」とは、相手が一番苦しくて恐怖に震えた時に殺してやることを指す。

そのために、イ・ビョンホン演じる主人公スヒョンは、映画史上類を見ない復讐"狩遊び"を行うのだ。

それは、捕まえては半殺しにして逃し、また捕まえては半殺しにして逃す、という悍ましい手法。

そこで得られるのは、他者の苦しみや恐怖を味合うことによる一種の快楽のようなものだろうか・・・。


僕は、人間は感情移入することに快楽を覚える生き物だと思っている。またその感情が過激であればあるほど快楽も増幅するものだとも思っている。

人類は長い歴史の中で他者の感情を想像して進化してきた。他者と感情を共有することで喜びを分かち合ったり、悲しみを分け合ったりして生きてきた。

「感情への想像力」を駆使して生きてきた。

「感情への想像力」があれば、相手の感情を想像し相手が望むことをすることができる。それは恋愛や友情、仕事における人間関係などに役立ものだろう。一方で、相手の感情を想像し相手が嫌がることをすることもできる。それはイジメや復讐において役立つものだろう。

今作は、この「感情への想像力」を駆使した男たちのバトル映画だ。

スヒョンは、苦しみや恐怖の感情を想像し、その感情を満たすために何度も何度も相手を痛めつけるのだ。

だがここで、相手が望むような感情を抱いてくれない場合ー今作におけるチェ・ミンシク演じる殺人鬼ギョンチョルのような人間ーが存在するのを忘れてはならない。

ギョンチョルは、苦しみや恐れを抱かせたくても、その類の感情を抱かないような人物である。ましてや彼はスヒョンが自分をターゲットにして狩遊びをしていることを知り「面白い」と呟くような奴だ。

本来、恐怖を抱くはずが、抱かない。
普通、抱くはずの感情を、抱かない。
それは、もはや人間ではなく、悪魔。

そんな悪魔に、果たしてどう復讐すればいいのか?

そこに注目である。



いや〜、こんなに個人的趣向に合致した作品も久々だった。

復讐の話なのでそれなりに重たいが、思いのほかエンタメ度が高くて、終始楽しんで見ることができた。

ありそうでなかったストーリー展開に魅了され、ひたすらイ・ビョンホンとチェ・ミンシクの恐ろしい演技に感動していた。

音楽、ロケーション、台詞回し、躍動感のあるカメラワーク、などクオリティが高く、さすが韓国って感じ。

特に、容赦ない暴力描写は、リアル度も高くて凄かった。「痛い痛い」と思わず声が出たし、顔も終始歪みっ放しだった。

その点では、バイオレンスな映画に耐性がない方はくれぐれも見ない方がいいかと思う。残酷なシーンが多過ぎて、韓国では2度も上映禁止になったらしいので(でも、この突き抜けたグロ描写のおかげで、素晴らしい緊張感がある)。

また、思わず笑ってしまうシーンも多く、それが予想外なのもあって嬉しいサプライズだった。

ギョンチョルが己の性欲を満たそうとする時に決まって現れるスヒョンには、タイミングが絶妙過ぎて個人的にツボだった。なかなか性欲を解消できないギョンチョルの苛立つ感じとかも非常に滑稽で笑ってしまった。

これは明らかに笑かそうとしている制作者の意図があると思うんだが、その辺のユーモアセンスもかなり光っている作品だった(まぁかなりブラックではあるんだけど)。

好きなシーンは、山ほどあったが、ここでは二つほど挙げる。

一つは、ビニールハウスで二人が初めて対面するシーン。

映画史に残る対峙シーンかと思う。それくらい緊張感があって思わず息を呑む程。ビニールハウスの照明と植物の緑の色合いが美しく、そこで繰り広げられる生々しいアクションとのギャップも最高だった。

もう一つは、タクシー車内での殺傷シーン。

カメラをグルグルと回す演出には舌を巻いた。一体どうやって撮ったんだ?、と。こういった発想や工夫が韓国映画にはよく見受けられるが、韓国人はガッツもしくは映画愛的なものが強いのかな。映画に携わる日本人も少し見習って欲しいと思ったりした。

結論、ものすごい映画熱に溢れる作品でした。あまりにグロいので、あまり見返すことはないだろうけど。





ーーーーーネタバレーーーーー





復讐は無意味である。何も生まない。もし復讐を終えたとしても残るのは虚しさだけである。復讐は負の連鎖を招き、復讐はさらなる復讐を生む。そうやって人類は争いを繰り返してきた。だから復讐なんてやめた方がいい。

それに人々がみんな復讐心に素直になれば、それこそ世界は一層恐ろしく血みどろになってしまうだろう。でもそうならないのは、人間に理性があるから。この世界に、ルール、法律、警察、が存在するからだ。

しかし、人間は頭では復讐の意味の無さは理解できるが、やはり感情の面で収まりがつかない生き物である。

やられたらやり返すのは当たり前だろ?
この気持ちをどうすればいいんだよ?

そんな声が僕の耳にも聞こえてくるし、気持ちもわかったりする。実際、「目には目を、歯には歯を」的に、被害に応じた報復または制裁を行う事は、至極フェアであり正しいことのようにも感じたりする。

また、日本人は本質的に復讐が好きなんじゃないかと思ったりもする。

日本は世界的に死刑廃止の流れがある中で死刑制度を存続させているし、死刑に賛成する人間も多いイメージがある。また「半沢直樹」のような復讐ドラマが高視聴率を収め、「倍返しだ!」という決め台詞が流行したのも、その国民性から来るもののような気がする。

また、これは個人的推察だが、その復讐好きな国民性は、日本人の共感指数や感情移入度数が高いためではないかと考えたりする。

その背景にあるのは、日本が島国であるという環境因子。同じ島に同じ民族が長い事住んでいたため、みんな同じような感覚を持っているという共通認識が育っていった歴史が関係しているような気がする。

その結果、自己と他者の感情の境界が曖昧になる「感情の一体化」を起こしやすい性質も持つようになったのではないかと。

どこかの国の人が、日本人はすぐに人を信じるので騙しやすいと言っていた。

日本人は、
相手にすぐ同情したり助けたりする。
自分の私利私欲だけで動かない。
雰囲気を重視する。

だから雰囲気=同調圧力を壊すようなことはできないし、壊した場合は、周りから痛い目に合わされることも多かったりする。

だから、僕は他人と距離を置きがちなわけだが、感情において人と人の距離がゼロに近づきやすい性質は本質的には持ってはいるんだと思う。

それは、好きな映画を他者と共有できた時、自分が思う面白い話に他者が笑ってくれた時、などに得られる感覚のことを指す。

そしてその最たるものが、セックス、だろう。

体を重ねることで自己と他者が一体化し、自分の快感と相手の快感が混ざり合い、自分の喜びが相手の喜びになったりする。

SMプレイも同様だ。

男は女王様のS的感情を想像し、女王様は男のM的感情を想像し、お互いの感情的距離はゼロに近づくのだ。

それは今作で行われる"狩遊び"にも当てはまるだろう。

スヒョンはギョンチョルの恐怖を想像し半殺しにする。相手の感情を想像し、その感情を抱くようにする。しかし、ギョンチョルはその期待には応えてはくれなかった。ギョンチョルは決してスヒョンが望む感情や言葉をあげなかった。気持ちよくさせてあげなかった。

それに対する最後のスヒョンの選択には、恐ろしいものがあった。そして復讐を超えた人間の欲望について思い知った。

スヒョンはギョンチョルを殺すだけでは満足できなかった。想定した感情に応えてくれるであろうギョンチョルの家族に苦しみや恐怖を与えることで、その感情を貰うことで、彼は復讐を完結させたのだ。

この物語の帰結には、人はどこまでも感情に支配されている生き物であることを思い知った。

人は自分の欲しい感情を相手からもらえなかった時、違う誰かからその感情を貰おうとするんだと。

人は一人では生きていけないか弱い生き物であり感情を分かち合う共有者が必要なんだと。

ラストのイ・ビョンホンの笑ってるか泣いてるのか分からない顔が強烈でした。全ての感情の最高到達点は笑いであることを痛感した。



最後に、これはあまり知られてないような気がするが、相手が期待想定する感情を抱かないことは、実は相手に最大の攻撃を与えうることは知っているだろうか?

具体的には、相手に何を言っても無駄という絶望感を与えたり、違う価値観を持った人間同士の"どうしようもない壁"を突きつけたり、することを言う。

簡単な言葉で言うと、スルー技術とか相手にしないとか、そんな感じだろうか。

僕は嫌な相手もしくは場面においては、この手法を使ってサラッと交わて生きています。



<セリフ集>
あいつに受けた苦しみを返してやる。
君の苦しみをそいつに倍にして返してやる。

一番苦しい時に殺してやる。
一番苦しくて恐怖に震えた時殺してやる。
それが本当の復讐だ。
完全なる復讐。

怖いか?
自分の罪を思い知ったか?

俺は苦しみなんか知らない。
恐怖?それも知らない。
俺から得られるものは何もない。
だからお前は負けたんだ。
プリオ

プリオ