景コマ

美女と液体人間の景コマのレビュー・感想・評価

美女と液体人間(1958年製作の映画)
3.0
いわゆる「変身人間シリーズ」第1作。『透明人間』も先に観ておきたかったが鑑賞しやすかったので本作を優先した。

ストーリーラインは冗長かつ散漫な印象が拭えない。ギャングの麻薬取引抗争と「液体人間」の怪現象がそれぞれに発生している。完全にバラバラに起きている両事件がたまたまかち合う、というのを繰り返しており、ストーリーとしては成立しているがドラマ性はかなり薄い。また「美女」であるヒロインの立ち位置も実はそこまで大したものではないのに、妙にファムファタール的に持ち上げられている脚本はいただけない。平田昭彦演じる刑事がイラつくのにややシンパシーも感じてしまう。

しかし本多猪四郎監督お得意の「逃げ惑う群衆」の画は圧巻の一言で、「目に見える巨大な恐怖」たるゴジラと「目に見えない等身大の恐怖」たる液体人間に共通するテーマ性はここで明確になる。また、中盤のキャバレーにおける捕り物の下りは、ステージのダンサーやピアノ演奏をバックにサイレント映画的な演出がなされており、このシーンはサスペンス要素として抜群の映像として完成している。それだけに脚本の不出来がまことに惜しまれる。

特撮パートの出来が「可もなく不可もなく」、程度に収まっているのも残念。無論1958年という時期を考えれば液体人間の光学合成のレベルは非常に高いし、のちの『怪奇大作戦』における「燐光人間」を彷彿とさせる代物ではあるが…ラストの巨大特撮による大火災の様子も取って付けたように見えて、円谷英二の技術が空回りしているようにすら感じられる。

「液体人間」自体にキャラクター的な魅力が薄く、ドラマ性も無い。この2点については、後年の『マタンゴ』や先述の「燐光人間」によって大いに挽回されているので、これらの「変身人間」的な作品の先鞭としての視聴価値は高い。「等身大のゴジラ」を志向したテーマ性も評価に値し、演出も良いだけにつくづく惜しい一作。


ボンクラな余談だが、平田昭彦の演じるキャラが「科学をあまり信じない生真面目な刑事」として描かれているのは面白かった。「科学者は実験室に籠っていれば良いんだ」という台詞は、彼が演じてきた各「博士」に是非とも聞かせてやりたい一言である。
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