カラン

太陽を盗んだ男のカランのレビュー・感想・評価

太陽を盗んだ男(1979年製作の映画)
4.0
いわゆるカルト映画。芸能人の方々が大好きな日本映画の伝説であるらしい。監督の長谷川和彦は1982年にディレクターズカンパニーなる監督が主導して映画を制作する映画監督の共同体のような会社を作り、相米監督の『台風クラブ』(1985)などの発表の素地を作るなど、80年代にも映画史的には大きな業績をなすが、彼自身は本作『太陽を盗んだ男』(1979)を最後に映画は撮っていないし、ディレカンも長谷川和彦映画を制作することなく90年代初頭に消滅する。



『太陽を盗んだ男』の制作費用は膨らみ続けて、キティ・フィルムは倒産の危機に陥ったという大作であるようだ。

オープニングは、原爆のキノコ雲に似た形で、低音がゴロゴロするなかで水平線に溶ける夕陽のショットは美しいし、熱を発散して雲や水平線を揺るがしている。太陽と原爆をオープニングが重ね合わせているのは、タイトルの通りである。しかし映画の本編では城戸誠(沢田研二)は原爆を作る場面で防護服を身につけて暑い暑いという身振りをするし火炎放射器まで登場するが、『悪魔のいけにえ』(1974)のようには、この映画は暑さを捉えることはできていないので、どこか白々しい。太陽が街全体を溶かすような暑さが足りない。だから原子爆弾がおもちゃっぽい。

人を狂わせるうだるような熱がない代わりに、この映画はハードボイルドの夜景でクールを導入する。発電所に侵入する際にはストップモーションが採用されて、この映画は太陽熱=狂気というカミュ的な、あるいは、トビー・フーパー的なテーマを捨ててしまうのが分かる。ゼロ(池上季実子)と共に夜明け前に原爆を警察から盗み出してカーチェイスが始まる。その薄い青の黎明の大気などは詩情すら漂う質感である。こっちのクール路線に行くならば、原爆製造の動機をもう少し理知的な描き方でやる必要があったのではないか。その辺は都合に合わせてというのか、ころころ変わるのが底の浅さで、作っている人間に気合いが入っていない。監督さんはヤクザみたいな風貌と振る舞いらしいが。

ターザン的なロープアクションと雄たけびをやり続けたのは伏線で、それが最終的に実を結ぶ。山下警部(菅原文太)がゾンビ化して、抱き合いながら1つになって垂直に落下したのが、電線で2つに分離して、山下は垂直に落下を続け、城戸はターザン的に木の中に着地。《生》か、《死》か。この執拗なゾンビと一体化した落下から、一瞬でターザン分離に至るシークエンスはかなり気持ち良く、高揚した。だから直後のラストシーンで、タイマーの音を鳴らしながら渋谷の街をふらふら歩く男がスローモーションになっても、動いているのは素晴らしい。ゾンビから離脱したのだから!生ける屍になるのは彼だから!これこそが分離の効果であり、《死》から派生する私たちの《生》なのだ。

それを止めてどうする。陳腐な爆発音をつけてどうする。1秒に満たない瞬間の話しをしている。動いて終わるのか、止めて終わるのか。止めるのは映画の自爆である。せっかく《生》の流れを作っておいて、自分で壊すを繰り返しているが、それは残念ながら弁証法ではないだろう。無自覚なのだろうから。偶然を何度も期待してはいけない。総じて、まったくダメということはないし、威勢の良さは特筆すべきものである。いくつかのショットも独創的だ。が、伝説とするのはどうかなと。






久しぶりに池上季実子を見たが、素敵だった。こんなに声が高かったんだな。死ぬ時のメイクがしょぼい。ちゃんとゾンビメイクしないと。

猫の演出はまったく好きになれない。シュレディンガーの猫でも気取ったつもりなのか。


レンタルDVDは、5.1chドルビーサラウンドが選択できる。SEのリマスターは成功している。とはいえ原爆ものだから低音が欲しいところだがこの手の古いものの低音は頭の中で自動補正するしかない。セリフはこの時代のレベルで普通。画質のリマスターも良い。
カラン

カラン