一休

屋根裏部屋のマリアたちの一休のレビュー・感想・評価

屋根裏部屋のマリアたち(2010年製作の映画)
5.0
1960年代、いまだ第二次世界大戦の傷跡が残るヨーロッパでは、各国とも産業の復興もままならず、ましてや台頭していた軍事政権がやっと倒れたばかりの国もあった。そんな中、戦禍にはみまわれたが、国体は保ったフランスがいち早く経済的自立を成し遂げ、あちこちの国から出稼ぎに来る人が多かった。
パリで株式仲買の会社を営み、成功者として生活するジャン=ルイ・ジュベールの家では、妻と先代から雇われていたメイドとの折り合いが悪くなり、ついに暇を出してしまった。
その代わりに雇われたのが、軍事政権下のスペインから逃れてきたマリアだった。
ジュベール家が住むアパルトメントの屋根裏部屋に住む事になったマリアは、あれこれと面倒なルールを持つ一家の要求を、同じく屋根裏部屋に住むスペイン人メイドの仲間に助けを借りてこなしてしまう。
ジャン=ルイの信頼を得たマリアは、ポツリポツリと自らの事を話し、ジャン=ルイもまたそれに身を入れて聞き入るようになる。
次第に、屋根裏部屋に住むメイドたちの生活を大事と考えるようになったジャン=ルイは、その心の中にマリアが大きな位置を占めるようになってしまった。
そんな夫の様子に感づいた妻は、とうとう夫を家から追い出してしまうのだが、ジャン=ルイは屋根裏部屋の物置に住み着き、「ついに自分の居場所を得たんだ。」と恬淡としている。
マリアは自分の事を全て受け入れてくれるジャン=ルイと結ばれるのだが、産んですぐに別れた息子を引き取りに、スペインへと帰って行ってしまう。
数年後、妻と別れたジャン=ルイは、かつて屋根裏部屋に住んでいたメイドたちを訪ねながら、マリアを探しにスペインへ来る。そこで見つけたものは・・・。

人と人の出会いというのは、小説よりも奇なものだ。
それは男と女だけではなく、男同士でも、女同士でも、知古を得るタイミングというのは己では計り知れないぐらいの稀さ加減である。
しかし、男にも女にも、その時の事情というものがあるから、自ら望む濃さを自らで調節できないところが人生の不思議であったりもするわけだ。
『君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し』と古人の言葉にもある。
この映画のジャン=ルイも、マリアも、またメイドたちも、何事にもすぐに答えを出す事はせず、じっくりとその時が来る事を待つ。
それに対して、妻のスザンヌやそのセレブ仲間、また会社の人間たちは、すぐに答えを得ようとする。
すぐに答えを得ようとする割りには、結局、何も解決するに至ってない事にジャン=ルイは気付き、自分のペースを受け入れてくれたマリアに心惹かれていくわけだ。

元々フランス映画は好きなオイラなのであるが、フランス人はあまり好きではなく、スペイン人やポルトガル人の方が好きなもので、この映画を観た後に「またイベリア半島へ行く夜行寝台列車に乗りに行きたいなぁ~。」と思ったのであるが、スッド・エクスプレスが無くなっちゃったんで、パリからの旅も昔ほど味気あるものでなくなっちゃったのかもしれないなと思う一休であった。
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