イホウジン

天国と地獄のイホウジンのレビュー・感想・評価

天国と地獄(1963年製作の映画)
3.9
この世で報われるのは勝ち組ばかり

今作で『パラサイト』への強い影響を感じさせられるのは、その階級が三層構造である点だ。どちらも表面的なあらすじだけ追えば富裕層と貧民の対立を描くものであるが、蓋を開けてみると貧民サイドにもまた分断が見受けられるからである。そしてその意味で、天国の住民にとって本当の地獄は知る由もない世界だ。富裕層に対決を挑める程の余力のある人間だけが、かろうじて真の地獄にアクセスする権利を持つ。この決定的な分断を背景とした社会問題を滑稽なエンターテインメントに昇華できたのが、黒澤監督の力なのだろう。
また今作で興味深いのが、劇中に発生する出来事に対して最終的にどこまで報われるかの度合いについても、やはり社会の階層ごとに差が出てくる点だ。靴会社の重役である主人公は、確かに今作でひたすら被害が強調される登場人物だが、その行動に対する世論の評価は高まる一方だったし、最終的な顛末もイマドキの言葉で言うスタートアップだし、散々な結果とは一概に言えない。対する犯人は当然それ相応の罰を受ける。法律の限界を知った警察は犯人をあえて泳がせ、あらゆる手段で彼を地の底に突き落とそうと試み、最終的には重い罰を与えられた。だがそれすらもまだマシに見えてしまうのが、今作におけるもう一つの階層の被害者の存在だ。犯人以上に救いがないのが、彼の手によって薬物中毒となったスラム街の人々である。実際、犯人は病院のインターン生だったわけで、黄金町で登場した人々に比べれば遥かに良い暮らしをしているのは明らかだ。犯人はまだ名前のある存在として刑務所に送られたが、彼らの場合は名前すら登場せず死んでいってしまう。金を奪われただけで新聞の一面になる主人公とはまるで雲泥の差がある。この物語の終着点の不平等さに今作が暗示する社会の闇を見出せるし、その精神もまた『パラサイト』に受け継がれているように感じる。こちらもまた地下の住人の存在は世間に知られることがなかったように、真の底辺は常に不可視化される存在なのかもしれない。
一連の犯罪の犯人の狂気からは、どこかホアキン版『ジョーカー』を連想させられる。最後の刑務所のシーンの感情の揺れ動きは圧巻だ。喜怒哀楽が同時に暴発したような、単なる勧善懲悪に帰結させないという今作の姿勢を感じる。
ストーリーのテンポはとても軽快で、会話劇からも静的な印象を感じなかった。同じ部屋のシーンにも関わらず、目まぐるしく動き頻繁に出入りが繰り返される登場人物は、改めて振り返ってみるとなかなか圧巻だ。操作会議のシーンでの、モブの統一的な動きで全体的な感情の流れを表現する様も見事だ。また全体に白っぽい主人公の邸宅と全体に黒っぽい犯人宅や黄金町の対比は、モノクロ映画だからこそできたものであろう。

確かに社会的な文脈が強い映画ではあるが、全体を通してみると割と定番な展開ばかりだ。物語は明確に前半と後半に分けられ、残念ながら表面的な相互の繋がりは薄い。ラストこそ上下の攪拌のような展開だったが、もっとそれを物語の軸にしても良かったのではと感じる。正直後半はただの刑事ドラマだ。序盤の重役会議の設定もあまり活かされず、実質主人公が被害者から刑事に移った形であったが、わざわざ視点を入れ替える必要性があったのか少々疑わしい。エンタメ性に舵をきりすぎたのだろうか。
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