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天国と地獄のhealthNO1boyのレビュー・感想・評価

天国と地獄(1963年製作の映画)
5.0
建築のことを1秒も勉強したことがない素人が色々言いますが、ご容赦ください。

優れた建築とは、「生活の中での機能性」と「それ自体の美しさ、かっこよさ」を兼ね備えたものだと思います。便利なだけで殺風景では物足りないし、かっこよくても使えなければそれはアートの領域。

本作にはそれと似たものを感じました。サスペンスとしての面白さと、ショットの美しさの両立。

特に序盤の、室内での大人数のシーン。何度も繰り返される壁際からのショットは、ヒッチコックの「ロープ」を思い出します。

7人ほどの人間が各々独立して立っているように、バラバラに目線が配置されているのは、美しさとともに凄まじいこだわりを感じます。それぞれの目線が交差せず、かつ全員が画面に入るよう立体的に配置する様は、美しい建築にも通ずると感じました。

竹内が権藤に話しかけた後、タクシーを拾うシーンも非常に良かったです。カメラが映す場所が手前・奥に動き、戸倉警部らと竹内の立体的な位置関係を描いています。

邸宅のシーンとタクシーのシーンの両方に感じたのは、監督が人や物を箱庭的に配置することが好きで、こだわってるんだろうなということです。

精巧なミニチュアのジオラマに憧れる感覚ってあるじゃないですか。それを実際の人間でやったらどんなに楽しいんでしょう。羨ましい。

邸宅のシーンの話に戻りますが、このシーンでは話している人が画面端にいて、画面中心にいるのはしかめっつらしてる警部、みたいなタイミングがあります。

話している人を主体として映すなら画面の真ん中に持ってくると思いますが、そうはしていない。話している人すら画面を構成する要素の一つとして扱ってるんだなと感じました。

また「画を見つけて撮る」という行為に注目すると、竹内銀次郎のアパートからの行為はそれに非常に近いです。

権藤の邸宅を窓から見上げる、その窓がカメラのフレームのようです。邸宅を見上げる竹内を後ろから映すシーンが何度かあり、その印象を強調します。

対象を見つめ続け自分だけの感情を膨らませていく行為は、映画監督の仕事に近いのかもしれません。
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