Arrivalやミスター・ノーバディ、千年女優、TENETやインターステラーあたりの作品はこの映画の影響を受けていそうな気がする
つまり、過去・現在・未来はすでに存在していて、4次元的な存在なら、物理的に移動するように時間も移動できるはずだという考え方だ
科学においては「ブロック宇宙論」と呼ばれているもので、過去から未来までの全ての時間がブロックのように「既に」置かれている、という宇宙モデルだ
タイムトラベルを行う全ての作品は、過去や未来を目的地として設定できるという点において、このモデルに暗黙的に従っているとも言える。
先述したSF作品群に既に触れている、現代の人々にとっては、この作品はそこまでトリッキーなものではないだろうが、公開当時のことを考えると、中々難解に思えたのではないかと想像する
とは言え、SFはオマケ的な要素に過ぎず、基本的にはこの映画は紛れもない戦争映画だ
四次元的な時間の認識も、現在で言うところのPTSD症状を描くための、舞台装置でしかない
トラウマ的な悲惨な戦争体験と、妻との死別を経た主人公は、その過去に飛ばされるという形で文字通りフラッシュバックを経験し続ける
異星人が与えた永久の安息も、美しい伴侶も空虚に映る
悪い時は無視して、良い時を生きる、果たして主人公にはそれができたのだろうか?
「こんにちは、さようなら」