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影武者のMOCOのレビュー・感想・評価

影武者(1980年製作の映画)
2.5
「勝頼殿行く手を遮るあの光をなんとおぼしめす」
・・・「虹であろう」
「違いまする、湖底に眠る亡き親方様のご意志、これより先に進むなというお告げでござる」
「さよう、親方様の最期のお言葉であるぞ、これを守る限り武田の家は滅びませませぬ」


 私は若い頃から『ショーケン』のファンです。
 私の好きなショーケンは「ミュージシャン>俳優」といった具合にザ・テンプターズやPYGより後のソロ歌手として活動していた『ショーケン』です。
 今でこそ日本のロックという分野は確立されているのですが、キャロルやクールス、内田裕也・・・の影響で日本のロックは不良・暴走族の音楽、社会から認められない音楽でした。彼らはライブ会場の客に「お前らよぉ・・・」と話しかけ、些細なことで客がライブ会場でケンカを始めるのは茶飯事でした。そのため日本のロックは暴走族のふりでもしない限りデビューできなかったグループもあるのです。
 ショーケンのライブは「皆さんこんばんは・・・」ではじまるそれは本当に素晴らしいものでした。

 「大麻」「不倫」「交通事故」「恐喝」・・・好きな人物だったから、何かやらかすショーケンには何かしら理由があったんだろうと私は寛容(偉そうにすいません)でした。
 1999年の槇原敬之の覚醒剤逮捕以降芸能人の麻薬関与には厳しい社会制裁が与えられるようになったのですがショーケンの大麻事件の頃は今に比べれば世間も寛容でした。

 1983年1月インドで行われたShanti Shanti LIVEのLPの歌詞パンフレットのショーケンの顔色は白蝋(はくろう)で、当時「ショーケンはクスリをやるためにインドに行ったのでは?」と、疑問をもっていました。だから4月の大麻不法所持逮捕は「ヤッパシ」なんて気持ちでニュースを見ていました。
 1980年の『影武者』公開はLIVEの3年前、もしかしたらこの撮影の時の顔色・顔つきは?とずっと疑っているのですが・・・。

 2008年の自叙伝『ショーケン』(現在は絶版)に自身の大麻歴も記述されていますが、撮影時の使用については語られていません。
 この本には黒澤明監督のこと、映画の撮影のことが沢山記されていています。

 当初武田信玄にキャスティングされていた勝新太郎と黒澤明監督の確執を招いた監督の一言や勝新太郎降板の話。

 撮影所に来ない勝新太郎がホテルで女優と大麻をやっていた話。
 
 四六時中重たい甲冑と刀を着けられ、体に馴染むまで撮影が始まらない話。

 姫路城での撮影で走行音が入るからと、国鉄に20分間新幹線を止めてもらった話。編集では音を被せたために新幹線を止める意味がなかった話。

 空に浮かぶ雲が絵コンテ通りでないからと、一週間も撮影現場に来ない監督の話。

 撮影中に槍が阿藤海の目を突くのを見て慌てて撮影を止めたら監督に怒鳴られた話。阿藤海さんは眼球が落ちそうな位い目が飛び出ていた話。

 出番ではない時に監督の悪口を言っていたらマイクが入っていてえらい血相で監督がやって来た話。

 撮影現場で怒鳴りまくり、危険な要求をする監督に精神がおかしくなり自分の顔つきがおかしくなっていく話・・・私が麻薬使用を疑っているあの狂気の目付きと、顔色。
 読み始めると止まらなくなってしまいます。


 武田信玄(仲代達矢)の弟信廉(山崎努)は仕置き場で見つけた盗人(仲代達矢)が兄信玄に瓜二つと気が付き男を貰い受け信玄の影武者に仕立てます。
 信玄は、東三河の野田城を攻め落とすところを見届けるために出向き、城内で狙撃され亡くなった噂が流れます。ところが国に帰る一行の中には負傷したはずの信玄の姿があり、信玄は『この先もしものことがあれば、自己の死は秘匿し、幼い嫡孫(竹丸)が成長するまで3年は動かずに領地を固ろ』という話をした後、銃創が元で命をおとしてしまいます。
 影武者を使い上手く取り繕う武田陣営と信玄の存命の疑念を確信に持ち込めないでいる織田陣営、徳川陣営の駆け引き・・・。

 そして幼い嫡孫、竹丸に跡目を継がせると言われてしまった(側室の)息子諏訪勝頼(萩原健一)は家来に焚き付けられ謀叛を働き・・・。

 やがて信玄は影武者であることが表面化し、跡目を継いだ勝頼は家臣の反対を押し切り長篠で戦いが・・・。
 

 百数十頭の馬が一斉に駆け出し、風が吹き、砂塵が舞い上がり「これはなんなんだよ、映画の撮影か、ほんとの戦さなのか・・・」萩原健一が本の中でそんな錯覚があったと著したラストシーンは流石に凄い迫力があり、撃たれ死に絶えた馬や、傷つきもがく馬はいったいどうやって演出したのだろうという凄まじさです。
 しかしこのシーンを除くと得意の望遠レンズの撮影に冴えがなく、黒澤明監督らしからぬTV時代劇のようなカメラワークで『乱』のような絵画のようなカットが見受けられないのが現実です。
 ショーケンの顔つきがらしくないからなのか、黒澤明監督作品であるだけで、世間が高評価しているような気がしてならないからかあまり好きになれない作品です。


 黒澤明監督のリアリズムは侍から武将に主人公が変わって行き、一対一の対決から集団戦となり刀を使わない時代劇と移行して行きます。それは黒澤明監督が晩年撮りたいと語っていた時代劇の形なのですが、もしかしたら私の好きな『日照り雨(映画「夢」第一話)』はその最終形の刀を使わない時代劇だったのかもしれません。


 阿藤海さんといえば・・・
『「阿藤海」と「加藤あい」って良く似ていない?』昔、息子が笑いながら話してくれました。
『「阿藤海」と「加藤あい」・・・確かに似ている。
 二人の違いって何???』
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