ギズモX

マトリックス レボリューションズのギズモXのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

『ターミネーター3』と『マトリックスレボリューションズ』
この二作、僕はとても似ているように思える。

公開年が同じ、ジャンルも同じSF、そしてなにより"傑作を台無しにした続編"という共通点がある。
しかしながらこの二作には、前作では描かれなかった重要なメッセージが隠されていたのではないかと、僕はそう考えている。

『マトリックス』は自分が存在している世界は本当は仮想世界であり、現実世界では人類は機械に支配されている設定で、そして第一作目のクライマックスで主人公ネオは"救世主"として覚醒し、人類をマトリックスから解放させるために超越的な力で飛び立っていく。
凄く爽快感のあるラストだ。
だが後になってよくよく考えてみると、ここにちょっとした違和感があることに気付く。

『マトリックス』でのレジスタンスの最終目的は人類が機械の支配から解放されることだ。
でもそれは本当に良いことなのか?
機械やマトリックスはそんなに悪者なの?
人ってのは多種多様でサイファーみたいな奴だっている。
それに、ネオはそれを成し遂げた後どうなる?

実は『ターミネーター2』には幻のエンディングが存在する。
そこにはサラ達の活躍で審判の日が回避された未来が描かれており、ジョンやサラは明るい世界で幸せそうに平和を謳歌している。
それはまるで彼らに与えられた"救世主"の使命を忘れ去らせるかのようだ。

でもそんなハッピーエンドで終わらせていいのか?
あまりにもお粗末すぎないか?
もっと他に何かあるはずなのでは?

この映画の存在意義はそこにあった。

続編『リローデッド』では第一作目では描かれなかったレジスタンスの本拠地であるザイオンが登場し、そこで様々な人間模様が映し出された。
救世主や預言者に頼らず自らの力で街を守ろうとする司令官。
ザイオンのシステムを維持するためには機械に頼らなくてはならないことをネオに伝える評議員。
人それぞれで考え方が違っていて、そのどれもが間違っていない。

そして『2』のクライマックスでマトリックスのソースにたどり着いたネオは、マトリックスの創始者に会い、実は"救世主"という存在はマトリックスの破滅を防ぐためにあらかじめ用意されていた、アップグレード用のパーツでしかないことを知る。

ネオがマトリックス内の人類とザイオンの両方を救うためには救世主の役割すらも越えなくてはならない。

そして『レボリューションズ』

第一作目からネオや預言者に盲信的だったモーフィアスが遂にここで袂を分かつ。
ネオも人類の救世主としての道を逸れ、自分が本当に成すべきことをするためにザイオンの仲間と別れて行動していく。

そこからはもう悲惨としか言えない惨状だ。
ザイオンはセンチネルの攻撃を受け壊滅状態。
トリニティも道半ばで息絶え、そしてネオも運命を受け入れ死ぬことが分かっているのにも関わらず最後の戦いへと向かっていく。
『ターミネーター3』のラストで審判の日が訪れたのと同じように。

"悲劇は避けられない。
運命は変えられない。
それでも前にへと進み戦い続けろ"

彼らはこれを自らの自由意志で"選択"した。
"自分が本当に成すべきこと"を"現実"に起こさなくてはいけなかったから。

ただ、この映画は中身がスカスカで設定に問題があった。
なんかもっとこう、脚本とかプロットを一から練り直していたら第一作目に匹敵するくらいの傑作になったのではないかと思う。

ところがだ。
ちょっと前にこの『マトリックスレボリューションズ』でのネオや『ターミネーター3』のT-850のように"運命を変えられないと知りながらも戦い続ける者達"を描いた映画が彗星の如く現れて、革新的な映像表現で僕の心を圧倒させた。

『TENET』だ。

『TENET』では時間を順行しようが逆行しようが"時間軸は同じ"であり、未来で起こる第三次世界大戦を回避することは不可能だ。
それでも主人公の名もなき男は"主役"を演じ続ける。
それは第三次世界大戦を止めるためでも、時の流れを変えるためでもない。
己が今成すべきことを現実に起こすために。

最新作『レザレクションズ』は期待と不安が半分。
ただ、過去作の既存のストーリーをなぞっただけで他には何も無かった『ターミネーターニューフェイト』のような二番煎じ作品になってほしくないと心から願う。
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