ザイオンでの戦闘シーンが中心のため、全体的にもっさりしている。
香港映画を観にきたつもりが、パシフィックリムを見させられたような感がある。
ザイオンのシーンを大幅カットして、アニマトリックスで描かれたマトリックス以前の話「セカンドルネサンス」を描けば、物語に奥行きが出ただろう。
テーマにすえられたのはカルマ(運命)と愛。
予定調和(機械)に立ち向かうものとして、無償の愛が示される。絶対死ぬとわかっていながら、誰かのために命を投げ出す。
機械は元々、人類との対話と平和を望んでいた。(マトリックス以前の話、参照)
しかし、最初に裏切ったのは人間だ。
それに対して、機械はマトリックスという牢獄を与えた。
マトリックスはさながら更生施設のように見える。
機械はいつでも、人類を滅ぼすことができるだろう。しかし、それをしなかった。機械のアイデンティティは、人間の存在にある。(発電のために風力発電や地熱発電などを選択せずに、わざわざ人間を燃料にしている)
機械は人間を便利にするのではなく、進化させるために存在しているのだ。
人類がまた道を外せば、機械たちはまたザイオンの人類を滅ぼしに来る。
マトリックスで暮らす人類の中で、自らの役割に目覚めた人類からマトリックスを出て、ザイオンで暮らすようになるのではないか?
人類が道を外さないように、あり続ける神のような存在としての機械と人類は共存し続ける。
マトリックスはこうしてver7.0へとアップデートされた。
3作連続で、クラブと悪趣味ダンスシーンが出てきたが、あれはウォシャオスキーの作家性だろうか?