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マトリックス レボリューションズの3110133のレビュー・感想・評価

2.6
現代の世界の雛型

一作目に続いて、二作目と合わせてのレビュー。公開当時の評判はどうだったのだろう。当時日本で暮らしていなかったので、リアルタイムで観ていないし評判も知らない。公開からずいぶん経ってからビデオレンタルで一度見た程度で、とりたてて印象はなかった。

ネトフリで改めて観てみると、一作目の戦後処理というか解説といった印象が強く、娯楽作品として観るのはちょっと耐えられない印象が強かった。それでも、なぜこの続編を作らなければならなかったのかと考えると、単に二匹目、三匹目のドジョウということではなく、一つの神話として作ろうという意志があるように思われた。

わたしたちの世界の捉え方、雛型、モデルは、太古の昔から随時作られてきた。多くは神話として語られる。重要なのは、それが事実であるといったことではなく、どれだけその時を生きる人々にとって信じることができるかという信憑性にかかっている。だから、時代が移ろうごとに神話は何度も語り直され、新しい世界のモデルが必要とされる。
そのように考えたとき、この三部作は「現代」の神話であろう。この物語で描かれる雛型は、いまを生きるわたしたちに耳障りが良いし、理解しやすい。
そこで細部に注目すると、この劇中の主人公は救世主としては6人目だという。救世主の出現ごと、世界は書き換えられている。これは上記のように、神話という世界の雛型、モデルの更新と理解できるだろう。
さらに、当初のモデルがまさに楽園として語られていることも、神話そのものへの言及として見て取れるし、その楽園追放も、雛型の変化の内に組みこまれているのは面白い。
さらに、映画の最後、平和を望むということは、文字通り戦争のない平安な世界の到来への希望というだけではなく、物語の終焉を自ら到来させるという意味で、神との契約とともに神話というもの自体の終りとして望ましいのだろう。

ということで現代の神話のひとつとして観ることができるなという感想なのだけれど、そのカテゴリーで考えると諸星大二郎の『暗黒神話』の方が個人的には好みであるし、岡本太郎は圧倒的。
多分、神話が持っている理屈を超えた説得力、論理を超えた論理、芸術が、この作品には足りないのだろう。その辺が、好みの問題を超えて、神話において不可欠な力の欠如のように思う。

それにコンピュータやシミュレーションにそのモデルを求めるというのも、現実性がありすぎて。もっと跳躍したモデルを観てみたい。と考えると諸星大二郎の跳躍力は凄まじいとあらためて思う。
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