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弾丸を噛めのotomisanのレビュー・感想・評価

弾丸を噛め(1975年製作の映画)
4.2
 馬と汽車は妙に合う。馬の脚の運びと機関車のロッドの動きの律動的な具合、左右の非対称は相性がよい。機械むき出しの機関車がゆらゆらと蒸気を上げるのも低速から力んで空転するのも生き物めいていていい。働くもの同士で共に人によく馴染む。ただし、使いこなすには手もかかり、馴染まないといけない。
 この映画の時代だとガソリン・ディーゼルエンジンの普及前でかつ、鉄道の開通も進み設備は充実し技術も機材も今に連なる水準になった時分だ。鉄道が入らない所ではまだ馬の独壇場で中継所には多くの馬と機関車が入り乱れる。冒頭の汽車と人馬のざわめきは西部劇といっても二十世紀あたま、馬による長距離移動は酔狂でなければ企画もの、客引きイベントばかりとなった時代の6日間西部馬レース出走前の騒ぎ。同じころインディアンと騎兵隊の模擬戦闘劇のドサ回りなんかが繁盛して先住民も結構稼ぎにしてたようだ。
 農民と牧場主の抗争も下火になり、フロンティアも先住民との抗争もとっくに無くなった時代、レースは新聞社のお楽しみ企画な感じで、大陸横断鉄道沿いの耐久馬レースは安全重視。ちゃんと完走できないようじゃ賭けにもならないから。とはいえ、行程700マイル、砂漠も雪山もあって熊は出るし蛇もいる。只者でなければ参加資格がないのか出走候補18名、そもそも応募者がいないのか参加者はわずか8名+ハックマン。既にそんな時代を迎えているわけか、それともそんなにも引き合わない企画なのか。
 主人公二人、コバーンもハックマンもいいのだが、脇の面々が面白い。冒険家の英国人、謎の女キャンディス、跳ねっ返りの若造×2、ハード・コアなメキシカン、とりわけ名も告げずに息を引き取る老カウボーイが述べる来し方が耳に残る。南軍の受勲者、金鉱脈発見以降の合衆国の歴史を隅っこで支えたような、西部を生き抜いた男の代表のような年寄りが痛めた心臓で死ぬ。同類は何万人もいただろう、何でもこなして生きてどうにか老齢に達しても、一文も残らず名を知られる事の何一つなく終わりそうな男の終の花道にこぎ着ける最後の賭けだ。
 同じ類の男がメキシコ人だ、さらに今も昔も二級市民扱いだが西部生活者の筋金を感じさせる。合衆国で3年暮らせる賞金でメキシコなら何年、いや何人の暮らしが助かるだろう。しかし、この話でも歯痛に馬泥棒からの銃弾と災難を一人で被った格好だが、今わの際のように絞り出し、いろんな銃弾を見て来たけれどケイトとクレイの銃弾は痛みを消し去る銃弾でと云う。うまくはゆかないもんだ。
 これに対照的なのがJ=Mの若造でならず者紛いの放埓ぶりが顰蹙ものだがレース5日でハックマンの仕込みもあって憑き物が落ちる。実はカウボーイでも何でもないJ=Mは馬のありがたみも愛しみも覚えず来たようだ。それは馬ばかりでもなさそうだ。案外生きた馬より鉄の馬の方が似合うのかもしれない。そういえば、話中、裏方が用いるサイドカーはハーレー=ダビッドソンで、馬泥棒噺でも藪に飛び込むやら馬使いコバーンの手には余るようだが大活躍だ。もう、1500マイルも牛を追う仕事はないけれど牧場はまだまだ馬の世界、馬泥棒退治で敏捷さを見せた若造もハックマンの弟子になって二十世紀を生きるんだろうか。
 これにケイトが絡む脱獄+馬泥棒事件がひと花添えるが、やはりこれがないといかん。もっとも二十世紀にもなって馬泥棒は即決で死刑でもないだろう、却って鉄道会社が業務妨害、5人日相当とか賠償請求してきそうな気がした。
 そうこれはもう二十世紀のイベントで世の注目も半ばはギャンブル目当て。本命他半数以上が脱落し、いまさら八百長もくそも無くなって、それでも最後、どこまでやらせなんだか、まんまとクレイとマシューの1位同着で賭けの上りはどうなる?
 どうなるにせよ賭け屋もブン屋もくそくらえな結果に、ケイトじゃないけれど、西部の何も知らん連中が何ほざくと付けたカタに幾分清々した。しかし、それでもやはり「西部開拓史」じゃないけれど、こんな馬の走った後に高速道路が伸びてやがて当たり前に誰でも空を飛ぶようになって、700マイルを6日も掛けたと驚かれるようになるだろう。そう思うと、トリックもどきの決着よりも、道半ばに斃れた本命馬Tripoli号の潔いような最期の方が妙に印象深いのだ。
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