Jeffrey

阿片戦争のJeffreyのレビュー・感想・評価

阿片戦争(1997年製作の映画)
3.0
「阿片戦争」

〜最初に一言、極悪な英国による清国との戦いを描き、香港割譲された歴史大作にして、中国が北京条約を破り、一国二制度を壊した歴史が起こるとは誰もこの時点では思いもしなかったそれまでの事実が描かれた資料的秀作にして、英国がTPPに入り、日米豪印「クアッド」にも参加を検討し、中国包囲網に近づく近代史を知る上で再鑑賞すると非常に面白い〜

冒頭、清の道光帝の時代。イギリス商人はアヘンを清国に密輸し、代価として多くの銀が流出していた。薬漬け、死刑、人工池、破棄、湖広(湖南、湖北)総督、北京条約、香港の割譲、植民地、近代的兵器。今、英国と清の戦いが始まる…本作は岩波ホール三十周記念に組み込まれた謝晋(シェ・チン)が一九九七年に監督した彼の最後の超大作映画で、この度YouTubeにて中国映画特集をするべく、廃盤のDVDを購入して初鑑賞したが面白い。製作年度からすると香港返還と重なる。いゃ〜、ここ最近中国映画を立て続けに見ている分、色々と詳しくなってきていて、本作に「客途愁恨」を監督したアン・ホイが参加してたり、張芸謀の「紅夢」(VHSのみ)の脚本を手がけたニー・チェンらが共同執筆してたりとかなり人材が優れている。中国映画に長けてない人だと何を言っているかさっぱりだと思うが、スタッフは凄い人たちだらけだ。更に撮影は「青い凧」のホウ・ヨン。音楽は「最後の貴族」のチン・フーツァイ、ホアン・ハンチーで、美術は今年VHSで初見したカイコーの大傑作「人生は琴の弦のように」のシャオ・ロイカンが担当していて、近代中国の命運を決した阿片戦争の様相をスペクタクルに撮影した大作ドラマである。



本作は中国、日本、そしてアジア諸国の近代史の幕開けを告げる歴史の重要な転換点である阿片戦争。その発端から、英国への香港の割譲と言う結末に至るプロセスを、監督が最新の歴史研究を踏まえ、中国映画史上空前のー億元(十四億円)の巨費を投じて完成させた映画であり、キャストとスタッフは中国、香港、台湾の映画、演劇界から多くの才能が集められ、英国からは「ジュラシック・パーク」のボブ・ベックが参加。また英国ロケの撮影には、この作品の企画者の一人でもある香港随一の女性監督アン・ホイが協力しているとの事だ。本作は香港返還される年の夏であったため、中国の愛国宣伝映画であり、中国政府によって予算が賄われたとされていたが、それは誤報で全て民間からかき集められた資金であるとのことだ。このお金によって、中国各地で英国で行われたロケーション撮影によるリアルな歴史再現が実現し、特に二万箱のアヘンを人工池に廃棄するシーンでは三千人ものエキストラを使ってダイナミックなモブシーンを展開させている。



実は中国においてアヘン戦争が映画化されるのはこれが二度目らしく、私はまだ見ていないが最初の作品は五十九年の「林則徐」である。再度の映画化にあたって監督は、その後約四〇年の間になされた歴史研究の発展を踏まえて作ったと言っている。多くの資料を分析して、当時の中国、英国それぞれの政治、経済の状況極めて観客的に見つめ、アヘン戦争を被害者の視点から悲劇として捉えるのではなく、歴史における必然的な出来事して描いているようだ。マクロ的に、観客的に、公正な立場からどうしてこの戦争が起きたのか、その歴史的教訓は何であったのかということを本作では描いている。彼は岩波ホールでの来日記者会見で言っていた言葉である。さて、このたび初見した本作を見ると、アヘン戦争と日本の近代と言うのを遡らなければならないことに気づいた。日本の近代史について考えるとき、まずはペリー提督率いるアメリカ東印度艦隊の黒船四艘が浦賀に姿を現した年が最も大きな大事件だったかもしれない。島崎藤村の夜明け前も、黒船が来たと言う知らせを置いて飛脚が木曽街道の馬籠宿を上方に向けて駆け抜けていったことから、その稿は書きおこされていると井出氏が言っているように、ペリーの要求に応じて開国に踏み切った背後には、アヘン戦争によって大国清が一敗地にまみれたと言う情報が重くのしかかっていたことがある。


今思えば香港返還約ー週間後と言うのは盧溝橋事件六十周年が巡ってくる事は偶然だったのだろうか…。一九九七年七月一日、香港は一世紀にわたるイギリス政府の統治が終わり、中国へ復帰した。どのような形で香港はイギリス領となり、長い試練の年月を送ることになったのか、その要因となったのがアヘン戦争(一八四〇年から四十二年)である事は誰もが知っていると思う。中国映画界の巨匠謝晋は、これまでにも大作の映画をとっており、中国の激動の時代に生きる人々を共感を込めて描いてきた。そして今回は、中国のみならず、アジア諸国の近代史の幕開けともなったアヘン戦争を題材に選び、その歴史的な過程を克明に描き出した。十九世紀半ば、イギリスは対清貿易の赤字に悩まされていた。当時、イギリスはアヘン吸引者には極刑を科していたが、そのアヘンを清国に売ることによって、茶や絹などの輸入超過分を是正しようとした。

そして年間四万箱ものアヘンを清国に密輸出してその代価として清国の国家法政の四分の三に相当する三千万両の銀が、イギリスに流出した。アヘンは清の政府高官から庶民に至るまで蝕み、銀の流出は財政を逼迫させた。たまりかねた清国はアヘンの厳禁政策をとったのだ。このアヘン厳禁に端を発して、イギリスが清を攻撃したことからアヘン戦争は始まった。これまで、この戦争は通商上の戦いであると唱える欧米からの視点で捉えられることが多かった。これに対し、監督は最新の研究資料を分析し、文学と歴史と民族と国際関係と政治などの専門の学者たちの協力を得て、清朝の凋落や腐敗、イギリスの策略などを、戦争に至るまでの過程を観客的に描き、史実に基づいた歴史大作を生み出している。さて長い前フリはこの辺にして物語を話したいと思う。


さて、物語は清の道光帝の時代(一八二一-一八五〇)。イギリス商人はアヘンを清国に密輸し、代価として多くの銀が流出していた。アヘンは清の庶民はおろか官吏まで蝕み、政府の財政逼迫は止めようがなかった。事態を憂慮した道光帝は、アヘン厳禁を上奏した湖広(湖南、湖北)総督の林則徐を、一八三八年欽差大人(特命全権大使)に任命し、鎖国中の清が唯一門戸を開いていた広東の広州に赴任させた。イギリスからのアヘン密輸が始まって、すでに百年余りが経っていた。イギリス商人デントの船が珠江の港に入港し、税関の官吏の韓肇慶は銀を受け取ってアヘンの通関を黙認した。一方貿易商の益和商店の何敬容も、韓肇慶へ賄賂を送り、外国商人から密輸したアヘンを売りさばいていた。林則徐は広州につくと、早速アヘンの取り締まりを開始した。

アヘンの売人を処刑し、何敬容を投獄、アヘンに染まった官吏たちをも処分し、デントたちを慌てさせた。さらに、イギリスを始めとする外国商人に、アヘンの引き渡しを迫り、西洋商館を兵士で包囲した。これに対し、イギリス商人は、アヘンの引き渡しを断固として拒んだ。イギリスから中華商務監督としてチャールズ・エリオットが広州に派遣された。エリオットは、すべてのアヘンを林則徐に引き渡すことを外国商人たちに要求して、林則徐との膠着状態を一時的に解除しようとした。その一方、清朝のアヘン没収やイギリス人監禁が、自由貿易を妨げているとして、イギリス政府に清国との開戦を迫ろうと目論んでいたのである。イギリス商人たちは二万箱以上のアヘンを差し出した。林則徐の報告を受けて、道光帝はすべてのアヘンの廃棄を命じた。

一八三九年六月、広州虎門の海岸で、人工池に次々とアヘンと塩。石灰が放り込まれてん中和されたどす黒い水が海に流れていった。二十日間かけてようやくすべてのアヘンが廃棄された。チャールズ・エリオットは、広州の英国商館のイギリス人に一斉退去を命じた。そして帰国するデントにパーマストン外相宛の手紙を託した。手紙を受け取ったパーマストンは、早速イギリス議会に清国派兵を提議した。議会は白熱したが、賛成二七一票、反対に一六二票と言う僅差で議案を通過し、ビクトリア女王は清国会開戦を布告した。そこから血みどろの英国と清国の戦いが始まる。イギリスの近代兵器の威力の前になすすべもなく、破壊状態に陥った。そして一八四二年に、清朝とイギリスとの間に南京条約が結ばれ、香港島はイギリスに割譲された。



その後の北京条約等を経て、香港はー世紀にわたるイギリスの植民地統治となった。祖先の位碑に向かう道光帝の嘆きは止まらなかった…とがっつり説明するとこんな感じで、やはり当時のイギリスと言うのはあまりにもひどいなと言うのは率直な感想だろう。古来の大帝国が阿片の輸入禁止と言う正当な政策をとっただけで英国から戦争を仕掛けられ、遠来の艦隊によってひとたまりもなく打ちのめされ、香港と言う土地を奪われてしまう。しかしながら近年の中国のやり方を見れば当時のイギリス以上にひどいと言うのが肌感覚で感じる。当事者だったらイギリスもクイーン・エリザベス艦隊を東へと持ってきて中国包囲網をしている分、日本としては非常に心強いし、TPPにも参加してくれることになったためありがたい国ではある。しかしながらイスラエルとパレスチナの戦いやミャンマーのロヒンギャ問題とかは全てイギリスが関わっている分、その点については看過できない。



そもそも長年の植民地支配について遺憾の意を表さなかった中国が現在になってから条約を破り、香港を中国共産党の支配下に置いてしまう横暴なやり方も許せない。香港の次は台湾、尖閣諸島、沖縄と言う謳い文句があるようにかなり危険である。それこそ第二次世界大戦は日本と英国は敵同士になったが、第一次世界大戦特にその前である日露戦争等で日本が勝利した事柄については当時の日英同盟の力があった事は言うまでもないだろう。だから令和になって英国が東へと興味を持ち、TPPに入り日本と英国が混じり合ってくれるのは非常に日本人として嬉しいものである。そもそも脱EUをしたイギリスが孤立しないように選んだのが日本初のTPPと言うのは嬉しい限りだ。ますます両国の関係を強めて欲しいものだ。さて、少し話が脱線したが、香港と言う土地が奪われたことによって、先進諸国のとめどもない侵略を招くことになったのは周知の通りで、当時このアヘン戦争で西洋帝国主義列強の脅威に目覚めた日本が、やがて帝国主義侵略の総仕上げをするように中国全土に襲いかかると言うのは慎重に見なくてはならない。


こうして香港は近代中国の敵外による侵略の受難のシンボルであり続けていたが、皮肉なことに植民地化されたことによって近代化の先端を行く場所と言う特殊な価値が生じ、それが九十七年の返還で、香港の制度をそのまま認めさせることになり、少なくとも表面的には平穏無事に祖国への復帰となった。ただ、平穏無事と言う事は中国人が香港の無残な歴史を忘れたと言うことではないと言う事は、この映画を見ると自ずと分かってくるし、佐藤忠実男氏の論評を読んでも分かることだ。いゃ〜、ここまでスペクタクルな作品で、中国のありとあらゆる文化遺産を舞台に描かれていれば、ブルーレイ画質で見たいし、残念ながらDVDの画面企画がシネマスコープサイズであり、私のテレビの画面の中心にしか映らなくて非常に残念だ。



連続して中国映画を見ているせいか、中国映画って画面が基本的に赤い。提灯の光だったり、松明の炎だったり、画面が赤くなるのだ。あの官僚がアヘンを横領しているんじゃないかと思い、六時間座って耐えられるかと言う実験をする場面の緊張感がすごかった。そういえば、アヘン戦争の後には、イギリス、フランスとの戦争だったり、日清戦争並びに八カ国連合軍による北京に対する侵攻といったような戦争が相次いで起こっているのを見ると、やはり中国にとってアヘン戦争と言うのは、いろいろな帝国主義の侵略を相次いで受けることになった事件であり、中国が植民地化したと言うだけではなく、日本に対しても大きな影響を持ってしまったと言うものなのだろう。やはり七つの海を支配していた当時のイギリスは帝国主義勢力を中でー番最強だったんだなと言うことがまじまじと伝わる。


今となってはその力は弱まったが、当時のイギリスの艦隊は、スペインの無敵艦隊を破り、ナポレオンを破り、インドを征服し、アジアの国々に目を向けたのだから、なんとも最強だった国だなと思う。そのアジアの国々の中のーつである中国が支配されてしまったのだが、中国と言う国はそういった勢力に敗れても、何が原因だったかと言うのを全然勉強せずに過ごしてきたため、色々と苦い思いをしてきているのだと言うこともわかる。ところが日本は違くて、中国が教訓を汲み取る事を全くしないのであれば、それに対して日本国はまさに教訓を汲み取り、自分の隣国である大清帝国が、何故にイギリスのような小国に打ち負けさせられるのかを研究し、それを明治維新に結びつけて行ったのだから、当時の日本人と言うのはすごいなと言うのは正直な感想だ。それに比べて今の与野党両方の国会のあり方を見るとため息しかつかない。



それにしても当時イギリス国内ではアヘンを吸う人がほとんどいなくて、それも刑罰が非常に重かったからと言う理由があるが、異国の地の中国では商品としてアヘンをどんどん輸出させて人々を薬漬けにしていたのだからひどい話だなと言うのと、イギリスの国会で賛成反対を議決する際に、わずかな差だと言うことが唯一の救いだろう。イギリス人にもこの戦争に反対すると唱えた人が多くいたと言うことを、この映画ではイギリス人への配慮が何かわからないが、そうした見方も取れるだろう。確か監督が来日インタビューで言っていたが、タイムズ紙だったか何かで、監督は芸術をやるのではなく政治をやりたいだけだと批判されたらしい。正直作品は地味で、盛り上げにかけているため面白くない。歴史を垣間見る分の資料として見る分には良いのかもしれない。岩波ホールで上映された作品の中では感動はしない作品だった。
Jeffrey

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