ジムジャームッシュの1984年の作品。
なにか起こりそうでいて何も起こらない。
こちらの期待をサラリと受け流しておいて目が離せない。それなのに美学もクソも無い。でもそれが良い。
明日なんて考えていない。
行き当たりばったりの明日の予定。
だからこそ今この時の瞬間に重要な意味が発生する。
でもその発生した瞬間には
明日なんて見えていない。
惜しむべきは
これを30年前に見ていたかった。
そしたら、今、私の立ち位置は変わっていただろう。
30年前の21歳の時にこの作品を観ていたら、今の自分は居なかったかも知れない。
でも30年前の私は
きっと彼らくらい、次の瞬間なんて考えていなかった。
だからこそ、今の私があるのだろう。
美学なんて感じるまでもなく
その瞬間の私の行動がそこにある。
でもそれで良いのかも知れない。
ハンガリー語しか話さない伯母さんも
捨て台詞は英語であるように
後から覚える呪いの言葉は
自分の気持ちより相手を想う気持ちが先立っている。
願わくば
自分の歩んだ様なクソッタレな道など選ばずに
若者だけに許されたその道を進むのが良い。
後に残された奴の呪いさえ届かない所まで
高跳びを決め込むのが最善の道だ。
それが許される者こそが
strangerの称号に相応しい。