例え居る場所を変えたとしても、何かが変わる訳ではない故に結局何処へも行けていない。というケリー・ライカートが初期中期で描いていたものの源流はジャームッシュにあったのかなと感じる。
シュールさは流石のヨーロッパで雪で湖が全く見えなかったシーンは久しぶりに映画でしっかりと笑ってしまう箇所の一つだった。
ウィリーがあまりに露悪的だったけれど、非英語圏から越して来たこと自身に対しての気恥ずかしさがあるのかなと思う。
そこに対してハンガリー語で話す彼の叔母さんを観ていると非英語圏生まれの溜飲を下げてくれる様な不思議な気持ちの良さがあった。