イホウジン

欲望の翼のイホウジンのレビュー・感想・評価

欲望の翼(1990年製作の映画)
3.8
欲望が行き着く先は虚無

今作の主人公はまるで欲望を擬人化したかのような存在だ。金を得たい欲や女を手に入れたい欲,自分の本当の親を知りたい欲,などなど、人間を強く見せるための欲望から自分の弱さをさらけ出す欲望まで人間のあらゆる側面が主人公に投入されている。その他の登場人物はもはや主人公のオルタナティブであり、主人公に足りない部分を彼らが代弁することによって相対的に彼の生き様の虚しさが浮き彫りになる。
そして主人公が欲望の赴くままに生き続けた終着点は「虚無」であった。せっかく周囲の人間から友情や愛を得られるチャンスがあったのに彼はそれを拒絶してしまった。己の弱さを認めたくないからだろうか。しかしいくら彼が虚勢を張っても、周りの人間は彼の生き方の虚しさに薄々気づいていたように思える。故に主人公には常に周囲から哀れみの目が向けられていた。金では買えない人生の豊かさを拒んだ彼の人生は、自身にとっても近い人間にとっても虚しいものだったのだろう。
欲望はまさに自由主義,資本主義の原動力の1つであり、今作で描かれた物語は決して別世界のファンタジーではない。現代社会を生きる私たちにとっても人生が虚無に陥ることは他人事ではないのである。今作の唯一の救いは、前述したように、それでも主人公の周りには愛や友情など人生の虚無を満たしてくれるものを与えようとした存在がいた事だ。身近な幸福に気付けるか否かが、現代社会の虚しさに抗う術のひとつになるのかもしれない。
独特な湿気を感じさせる映像やセリフもとても美しい。今作の舞台は60年代であり公開段階から既にノスタルジーのあるものとして観られてきたはずだが、それも一定の質を超えるとたんなる懐古趣味ではなく普遍的なものへと昇華されていくのかもしれない。

良くも悪くも観る側の心象世界に簡単に溶け込む映画である。幻想的な世界観は観た瞬間は強烈に印象に残るが、割とすぐに日常と一体化して忘れてしまいそうになる。

あとやっぱり亜熱帯の雨は私の性癖に刺さる。少なくともパリの雨よりはずっと魅力的にうつる。
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