りょうた

みかへりの塔のりょうたのレビュー・感想・評価

みかへりの塔(1941年製作の映画)
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冒頭の施設案内のシークエンスおいて、生徒の名前はなく何の棘もない無個性の集団としての子どもがスクリーンに現れた。清水作品を見てきたものとして、このシークエンスにおける子どもの姿は無味乾燥、魅力のない姿である。しかしこのシークエンスが終わるや否や、子どもたちは名前を持ち、走り声を上げ、其々の顔が立ち現れ定着してゆく。それは紛れもなく清水の子供たちであった。到底「生徒」「子ども」といった代名詞では括り切れない、まとめることが不可能なほど、意気衝天として、また混沌である。

ただ、ラストシーンにおいて子供たちは口をそろえて「悪い子ども」と口々に発する。ここが検閲によって付け加えざる負えなかった部分であると感じる。子どもが成長するメロドラマに帰着してしまった感じが否めない。ただ、そこへの抵抗も節々に感じとることができる。それは終始ロングショットで捉えることであるし、清水の別れの美学における乗り物の位置づけである。清水の映画は別れの映画である。そこに欠かせないのが乗り物である。『按摩と女』『港の日本娘』など、乗り物に乗って別れは表現される。しかし、今作において、子どもたちは歩いて別れてしまう。ただ、その見送るものと去るものとの間を駆け抜けるばかりである。これはある種の抵抗のようにあたしには見える。
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