矢吹

ライク・サムワン・イン・ラブの矢吹のレビュー・感想・評価

4.1
「教鵡」とは、鸚鵡に教える絵なのか、鸚鵡が教える絵なのかな。
どちらもありうる。
そういう想像力、世の中は相互作用の渦だから。
稚拙な前談はさておき、
さあ、この映画が描いたものは、昨今の社会においては、より加速している、加速し続けたまま、終わりの見えない、人類の永遠のテーマの一つ。
世紀の対決。
青年VS老人。
肉体の若さと思考の成熟の対立。
問いただされる、男の本質。
結果如何で、世界のバランスが再び決まる。

そして、この2人の男の間にいる、巡られる側の女が、本当にただの女の子なのは、勝負を平等にするためのバランスでもあるということ。
空手の3段VS 10000冊の本。

昔の外人の本なんて今読んでも、意味ないですよ。と若者が殴り掛かれば、
教養や経験を老獪に用いて、華麗に人生を説く。
単にダーウィンを援用しただけだよ。と老人が間接を取りに行けば、
溢れる闘気と鍛え上げた肉体の記憶を頼りに、ジジイを置き去りにする。

どんなイメージを自分に描いたか。
周りの人間にどう捉えられるか、させるか。

結局、例えばね、赤い髪色にしてた、ななみ?ちゃんが、赤い髪で過ごす時間って多分人生で2年ぐらいじゃないですか。わかんないけど。そんな平気で移ろえる薄皮1枚のイメージはどうだっていいのよ。
もっと肝の、芯の、人間の育てるべき魂の話。

この作品で行われる様々な、まんまと、イメージの発芽。たくさんの交錯。
特に高梨臨ちゃんは、数々の輪郭を重ねられる。
まあ紛れもなく、主人公はこちらなので、
鏡越しの顔、窓越しの顔、面影、写真。
似ている人。などなど。
イメージを人はどこまで愛せるか。
実態はどこにあるのか。
作品のど真ん中の、モザイクたる円心。
高梨臨ちゃんが、果てしなく、癖のない女の子だったのは、平等な対決云々の中で、こちらの重心の方に威力が傾いて感じた。

しかし、臨ちゃんの、あの喋りの脈絡のなさ、誰が書いたんだ。極上だった。

そもそもが空虚な主人公を取り囲む、他人から見た他人。ネオンの閃光弾で目眩し、不安定を誤魔化し続ける不安定な街、東京。
後半ほぼ横浜ですけどね。元はと言えばやっぱり東京。東京が、全部悪い。
一応、トーキョー特集だったのでね。

キアロスタミらしさも、もちろん全開の行ったり来たりを繰り返すジワジワ進む魔性の時間。スケベなテンポ。
特に、おばあちゃんが待ってたシーンというか、あの一連の流れは、どうしようもなく、くすぐるなあという、にくいよね。
行けよって思うそばから、焦らされる。
それでもやっぱり早く帰ってこいって、また思わされてる。釘付けよ。

個人的には、いけ好かない、その場にいる事それ自体にすがりついてる奴らが集まる情けないバーの、嫌な上滑りの会話が続く、ロングテイクのど真ん中の空位に、一体誰が収まるんだっていう流れで、まさかのでんでん。という、そんなご褒美もあったけど、何よりもね、
割と、最近でいうと、ボルテックスに近いぐらい、生きていくということの抱える虚しさが、巧妙な味付けで喉元を過ぎていく。
元大学教授が準備する、スープとクラシック、の若い女にとっての何の意味もなさが、何よりもご馳走だった。めっちゃ苦しかった。
老兵は、去るのみか。
それでも、戦い続けた彼らの記録。
ライクサムワンインラブ。
恋でもしているかのように。

とりあえず、イメージ以外の何かを愛せるのか、なんて問題に、関しては、
ブルーハーツ曰く、イメージが大切。って言ってるので、絶対に真理はイメージにある。

しかしまあ、
遺作の終わり方、とてつもないな。
笑ってしまった。
ありがとうございました。
矢吹

矢吹