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声をかくす人のodyssのレビュー・感想・評価

声をかくす人(2011年製作の映画)
4.5
【勝者が書いた歴史を見直すために】

南北戦争はアメリカにとって史上最大の戦争です。つまり、アメリカにとっては戦死者が最も多かった戦争なのです。二度の世界大戦も南北戦争ほどには多くの犠牲者を出しませんでした。また、北と南に分かれて戦ったことから、戦争後もしこりがさまざまな形で残りました。

一般には南部は奴隷制度を維持し差別的、北部は奴隷制度に批判的で進歩的と見られています。そのこと自体は間違いではありませんが、しかしでは北部の側が100%正義だったのかというとそれは疑問。奴隷制度に批判的な北部の世論を形成するのに大きな力があったのは、ストウ夫人の有名な『アンクル・トムの小屋』ですが、マーガレット・ミッチェルはこの作品が実際の南部を知らずにイデオロギー優先で作られていると批判し、『風と共に去りぬ』を書きました。南部の奴隷制度は北部の人間が考えているような冷酷で暴力的なものではなく、黒人奴隷にも能力次第でそれなりの地位が与えられるようになっていたというのです。

むろんミッチェルの言い分に対しては批判もありますが、「奴隷制度」という言葉だけでその内実を想像するのではなく、実際はどうなっていたのかを知ることこそ物事を正しく判断するための出発点だということは肝に銘じておかなくてはなりません。そもそも、奴隷制度は古代アテネにもあったわけで、古代アテネは一般的には民主制と言われますが、奴隷制を内包した都市国家だったのですから現代の基準からすれば到底許容できるものではありません。ちなみにアリストテレスも奴隷制度を肯定していました。

前置きが長くなりました。この映画は、南部の出身の既婚女性が、南北戦争後にリンカーン大統領が暗殺された際に、その犯人に協力したとしてアメリカ史上はじめて女性として死刑に処せられるという史実をもとにしています。

この裁判の不当性、そして彼女の弁護士になった男性が北部社会からさまざまな嫌がらせを受けること、北部社会にも南部に対する言われなき偏見がかなりあったことを、この映画はしっかりと描いています。裁判映画として、必ずしも派手なシーンばかりではありませんが、緻密で堅実な描写が積み重ねられており、きわめて見応えのある充実した映画になっていると思いました。

また、われわれ日本人がこの映画を見るとき、もう一つの裁判を想起しないではいられません。第二次世界大戦後の東京裁判です。いずれも勝者が敗者を裁く一方的な作業で、それが一見すると公正な裁判を装って行われたところで共通しています。歴史は勝者が書くということはよく言われるところですが、歴史の真実と、勝者が書いた歴史とを区別することは大切です。この映画を契機として南北戦争の実態をもう一度見直してみるのもいいでしょう。

なお、リンカーンが南北戦争に際して南部の一般市民にも容赦なく砲撃を加えよと指示したことは『戦争指揮官リンカーン』(文春新書)に詳しく述べられています。本来、戦争は軍人同士が戦うもので、軍人ではない一般市民に危害を加えてはいけないというのが国際的なルールです。リンカーンはそれを破ったわけです。そしてそのリンカーンの流儀は、第二次世界大戦において原爆投下を初め、きわめて大規模な一般人殺戮が横行したことへとつながってゆくのです。リンカーンは一般には偉大な大統領とされていますが、そうした負の側面を持っていたことも正しく認識すべきでしょう。
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