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演劇1のatmyownpaceのレビュー・感想・評価

演劇1(2012年製作の映画)
4.0

スコア意味なしメモ用

●概要
「演劇」というものを通して、劇作家を生業とした平田オリザという人物を少しずつ知っていくドキュメンタリー。

●感想
久しぶりに相田和宏作品を鑑賞。
まず、平田オリザの演出の細かさと指示の仕方に驚いた。「そこはあと0.3秒早めで」とか、「そのセリフは伸ばし気味で、最後は少し声を大きくして短く切って」など。素人目からすると異常に細かく感じるし、この指示の仕方では俳優は物凄く大変だろうと観ているだけで少し疲れた気さえした。

ただ彼のその演出方法は映画が進んでいくと納得させられた。「台本は仮説に過ぎない。演出家がその実験方法を考えて俳優が実験する」「台本に真実が書いてありそれを再現しようとすると、とてもつまらなくなる」と発言しているように、ある程度余白を残した状態で実験しながら進めて微調整を繰り返しているのだ。

自分は演劇鑑賞をしたことがほとんどないのだけれど序盤、平田オリザが「演劇は余白を多くし、観客の想像力に頼るコンテンツだから、映画よりさらにシーンを選別する作業が劇作家には求められる」という発言があった。なるほど、だから舞台演劇はとっつきにくいイメージがあり、映画ほど認知度もないのかと納得した。これはもちろん映画にも言えることだが、エンタメ性を排除し作家性を強くした映画は観る人を選ぶ。小説もそう、いわゆる純文学がそれに当たる。

この映画のなかで執拗に出てくるお金の問題がそれを物語っている、つまり儲からない。これだけ有名な人の劇団でも国の助成金頼りでギリギリの経営のもと何とかやっていけている現実と息苦しさが何度も映る。

また、平田オリザは劇作家であると同時に経営者でもある。キャリアのスタートが父親の作った劇場の支配人だったこともあり、経営者としては劇作家よりキャリアが長い。説明が上手で分かりやすく論理的かつ合理的に仕事を進めている印象。通訳を通した海外での打ち合わせでもしっかりと意思や要望を伝えたり、俳優やスタッフのギャランティーに対してもなぜこの金額なのか、なぜこうするのかなど明確に伝えているシーンが何度も出てきた。なお、細かな金額や明細書の一部なども包み隠さず映画の中に出てきたのは、一見するとマイナスプロモーションになりそうだが、これは恐らく平田オリザの国(助成金)に対する訴えというか問題提起と受け取った。

相田監督の演出が光るシーンとして、床屋のシーンがある。いつも通り、相田作品に音楽はないのだけれど散髪している数十秒の間、無音になる。休みなく1日3〜5h睡眠の彼にとって、昔から通っているであろうなじみの床屋では劇作家ではなくただの客になるのだ。それを無音にすることで差別化し、音楽を使うような意味合いを持たせるところがスマートで良い。

また、ネガティブな意味ではなく彼の言葉には、どこか孤独や寂しさのようなものを常に感じる。
「成功するまで波瀾万丈はほぼなく、新しいことは地道な積み重ね。新しいことは受け入れられない、それまでは孤独。それに耐えられるかが成功の鍵」
「チェーホフ以来、滅びゆくものを愛情もって描くのが劇作家の仕事」
「観客に芝居をみて元気になってほしいとは全く思わない」
「演劇で大事なのは最初。要するに演劇とは、人間がある運命に弄ばれて右往左往する姿が描ければいい」
「人間は誰しも仮面(ペルソナ)を被って生きており、つまり仮面の相対が人格に当たる。人間は演じる生き物なのです」など。

そうか、彼もまた劇作家「平田オリザ」という仮面を被り、まさに彼自身が「演劇」という運命に弄ばれている姿がこの映画には映っているのだろうと納得した。

それにしても、ラストの還暦の劇団員を祝うバースデーサプライズは何とも微笑ましかった。平田オリザが「役者は現金な生き物」と言いつつ、笑顔でバースデーサプライズもしっかり演出し、他のメンバーの人たちも本当に楽しそうで、みんな演劇が好きで集まった運命共同体なんだなと少し羨ましくなった。