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千年女優のmayのネタバレレビュー・内容・結末

千年女優(2001年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

いちばん大事なものを開ける鍵を返そうと、「あの人」を追いかけるわたしは、幾度、扉を開けても、「あの人」の元にはたどりつかない。

わたしが「わたし」を語るとき、そこには、語りたい姿(イメージ)のわたしがあって、それは、ときにフィクションめく。だからこそ、現実のわたしと、女優のわたしが入り混じって語られるのかもしれない、

千代子が語った「わたし」は「悲劇のヒロインとしてのわたし」である。役は違えど、どの作品でも「あの人」を追いかけるヒロイン。悲劇のヒロインは、千代子が演じることで再生産され続けて、お茶の間で人気を博す。

死ぬときでさえも物語めく。時を超えて、鍵を手にしたその日に「あの人」に会えないまま、死んでいく。

「きっと今度こそ「あの人」に会えますね」

「鍵を持っているしね、あなたが届けてくれたから。でも、ほんとうは会えなくてもいいのかもしれない。」

「だって、わたし、あの人を追いかけているわたしが好きなんだもの」

このことこそ、鍵を手にしたことで露わになった彼女の大事な秘密なのかもしれない。

好きなのは、「あの人」よりも「あの人を追うわたし」。「お茶の間では絶大な人気を誇る女優であっても、ただひとりのあの人をずっと一途に思う純情なわたし」であり、「追いかけ続けたあの人に会うことの叶わなかった悲劇のヒロインのわたし」なのだ。恐るべきナルシシズム。だからこそ、同じ熱量で年老いたわたし(糸巻きのあやかし)が、わたしの美しさを憎み、そして妬む。

鍵が届けられ、自分の生涯を語り、その日に死んでいく。まるで鍵が誰かによって届けられるのを待っていたかのように。
自分自身をドラマチックで完璧な「作品」として完成させて悲劇のヒロインのまま、終幕していくのだ。なんという恐るべき女優!
この千代子の物語は、映画監督の立花によって、ドキュメンタリーとして映画化される。きっと、この映画は大きな話題を呼び、たくさんの人の心を打つだろう。そして、また彼女は、死んだあとも悲劇のヒロインとしていつまでも語り続けられるだろう、

まさに、千年女優。この言葉以外に彼女を示す言葉が見つからない、

メモ
・千代子のモデルは原節子
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