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湖のランスロの河のレビュー・感想・評価

湖のランスロ(1974年製作の映画)
5.0
鎧の金属音、馬の足音や杭を打つ音、チェスの駒を打ち付けるように動かす音などの鈍い打音が反復される中に鳴り響く稲妻の槍であるランスロの槍の音、そして雷の音っていう二つの破裂音。明らかに声質でキャスティングしてるような感覚があり、少しエコーのかかったようなランスロと王妃の高い声が他の男達の低い絞ったような声に対して抜けるように響く。さらにそれらの音がレイヤー的な重ね合わされたり、無音との間も絶妙で本当に良い。
カメラが映すのは出来事ではなく音の鳴っているところで、情報は全て音が主導していて何が起きたかはまず音によってわかる。それが基本的なトーンになっている中に対比的に現れる音と映像の乖離する瞬間が本当に最高。
ルールを決めた上で動き出したら止めれない、機械仕掛けのような騎士達がいて、それに対して心、愛を与えるものとして王妃が存在する。騎士達は聖杯を取り戻すという目的の元自己犠牲的に戦っていたが、その戦いがなくなり同じ場所に留まるしかなくなる。その失われた行動意義を自分達で作り出すように、王妃とランスロの不義を口実に内部で戦いを始める。その騎士達の破滅は予言されており、その通りに全員が段々と内破していき、ブリキの人形が動かなくなるように全員が動かなくなっていく。それに対応して、規則的に発されていた金属音や打音のリズムも段々と乱れていく。
舞台は箱庭的な城とキャンプで、それに対して神秘的な森がある。王妃が人間、騎士達が機械だとすれば、森とそこに属する馬や鳥、森とそこにすむ家族は人間の力の及ばない自然に対応する。ランスロは自然に属しているかのように森に馴染んでいて、さらに神=自然であるため、最強の存在として雷を操るランスロの力の源は神となる。そのランスロが不義によって聖杯を拒否されて以降、自然、神との不調和が発生し始め、ランスロの視点から自然が畏怖的なものとして窓越しなどから立ち上がり始める。一方でランスロに敵対する敵達が噂話によって繋がる社会、コミュニティとして存在し、その社会が神の代わりに自然と共謀するようになる。神と王妃の間での葛藤の後、王妃を選んだランスロは仲間達に死をもたらし、さらに自然と同化した敵によって仲間とともに殺され自然に飲み込まれる。かなり寓話的な話になっている。
馬の目の普段の虚無とひん剥かれた時の暴力性。開けられた時にのみ見える口内の人間的なグロテスクさなど、ピカソのゲルニカのように発露した苦しみの中心に馬の目と口がある。
80年代のゴダールの映像と音の分離、異化とそこから来る異様で畏怖的な感覚みたいな実験はこの映画から来てるんじゃないかと思う一方で、既にこの映画の時点で完成されているような気もする。こんな映画見たことないし今後出会うこともないような気がした。
自分が音楽を聴く時、打音の間と響き、その周囲にあるアンビエンスみたいなものに惹かれるのもあって、映画としての良さ以上にその自分の好きな音楽の感触に近いっていう感覚になった。
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