てっちゃん

湖のランスロのてっちゃんのレビュー・感想・評価

湖のランスロ(1974年製作の映画)
4.1
立て続けにロベールブレッソン監督さんを観るという幸せと眠気を噛みしめながら鑑賞です。

前回の”たぶん悪魔が”を観て、パンフ購入を決意(こりゃ補間させないといかんだろっと思ったのです)してカウンター行ったら、まさかのパンフ無し!
最近はパンフを読んで、より作品を理解するってのが常だったので、落胆しておりました。

なんともまあ印象的なショットの連続なんでしょう。
セリフで説明せずに、映像で説明させて、さらにはその映像に於いては”無駄”を一切省いている。
だから過剰な説明が多い作品や、静かで淡々として派手さが無い作品が苦手な人、早送りで映画を観るような人(これ話題になっているけど、いろんな意見があってそれはそれで当人がそう思えばそうなんでしょうって思うのを前提として、映画を早送りするのは勿体ないなと思ってしまう。製作者側の意図するところ、登場人物たちへの思い、鑑賞する側への伝わり方が早送りしている分、減ってしまう。早送りして観る人は映画をじっくり見るのが苦痛になっているのだろうし、それは余裕がない(情報過多の毎日だから情報を追うだけで大変で取り残されたくない、お金がないから無駄にしたくないなどの余裕のなさ)のが根底にあるからなんだろう。)には、絶対に向かないのがロベールブレッソン監督さんでしょう。
十中八九、「退屈。つまらん。」という感想しか浮かんでこないでしょう。

では私はどうだったかというと、「非常に淡々としているな。でも美学を感じるし、何よりも音が印象的。結論、訳分からん。」と思いましたね。

甲冑を着た騎士たちが争っていても、絶叫とか掛け声とかはなく、かちゃかちゃと甲冑のぶつかる音と馬のぱかぱか音がして、剣でぐさりとやったら、”スロー”でぐったりと倒れて、血が大量に流れる。
普通なら、どんちゃん騒ぎながら劇的に描くであろう殺戮シーンでさえも”淡々”と撮っている。

馬上槍試合に於いては、パグパイプの音楽が印象的(だって本作では音楽ここと冒頭でくらいでしか流れてなかったんじゃねえのって感じだったし)であるものの、ランスロと相手の試合を”淡々”と繰り返し(同様のシーンの連続)ては、音(ぱかぱか音、かちゃかちゃ音、槍で突く音)とが印象に残る。

しかも普通って、こういう試合の勝敗を喫した側をみせるじゃないですか?
それがないんです、勝敗がついた後は観客の歓声シーンだし。
これは何なの?世間が関心あるのは試合をしている人ではなくて、結果であって、その過程はどうでも良いってことなの?

本作で出てくる男性たちは、甲冑を身に纏っている。
つまりは自分を隠していることなんだろうし、かちゃりと顔のところを開けないと個人として判断できない=それでしか自分を表現できない、ということなんだろうか。

物語は劇的な展開を見せることもなく、想像したとおりに淡々と進んでいく。
ロベールブレッソン監督さん印の、徹底的に無駄を削ぎ落とし、棒読みみたいに台詞を言わせ(だからこそ素人役者を選ぶんだろう)て物語というよりは絵画みたいな感じになっている。

この絵画みたいなって表現が自分でも言い得て妙だなと思ってしまうほどにしっくりとくるのではないでしょうか。
この前観たパゾリーニさんが変態詩人だとすると、ブレッソンさんは孤高の絵描きみたいな感じ。

見せすぎて見させない作風とストイックな美意識が混合とする映画体験でございました。
てっちゃん

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