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ナイト・タイドのhorahukiのレビュー・感想・評価

ナイト・タイド(1961年製作の映画)
3.8
彼女は人魚なのかも…?

ナンパして口説き落とした美女が「静脈で海を感じるんだ…」とか「海が母のように語りかけてくる…」とか言い始めて、ついには「私は人魚!いつかは海に帰るの…」とか言うもんだから、ガチなのか電波なのか…。どちらに転んでも明るい未来しか見えない人魚ホラー。

当該の美女モーラは孤児。遊園地で見世物小屋をやってるオッサンがどっかの島で見つけて、父親同然に育ててきた。今はオッサンの見世物小屋で人魚コスプレして「本物の人魚だよ!」と客を騙して儲けてる。この時点でオッサンもモーラさんも胡散臭さ全開!

しかもモーラさんは警察もマークしてる要注意人物。実は過去に2人ボーイフレンドが居たのだけど、2人ともモーラと出かけて死体で発見されてる。そして謎のババアがモーラに付き纏っては、海へと誘うように不思議な言語(ギリシャ語)で話しかけてくる。モーラは人魚?それともメンヘラ?で迷った彼氏さんはとりあえずタロット占い師に聞いてみるよって流れ。まさかの占いだより!

他の方も書かれているけれど、ジャックターナー『キャットピープル』みが強い。明確な結論を避け、暗示するにとどめることで、低予算ながらもコーマン製SFのようなチープさではなく上品な恐怖を最後まで醸成し続ける。実際にハリントン監督は『キャットピープル』が好きだったらしく、本作でハリントンなりの翻案をしたのでしょう。

そしてモーラが人魚かどうかの謎だけではなく、モーラの行動が意味するものすらも明らかにはせず、ただ起こった事象の積み重ねとしての結果だけを本作は突きつけてくる。父親はおらず、大好きな母親を亡くした主人公は閉じこもった生活を変え世界を見たいがために海軍に入った新人。冒頭シークエンスから彼を苛む孤独を徹底的に描き、どれだけ断られても執拗にモーラを口説く姿は、モーラ=海であることの象徴性から彼の真に望むものを浮かび上がらせる。

幼児性の象徴たる遊園地を舞台としていること、過去の呪縛から外へと進んでいくための海兵隊の服装を主人公は(一部除いて)徹底していること、そして海=母親であることからも本作の寓話性は強調され、モーラの優しさと悪女な二面性は主人公自身の投影としての意味合いを強くし、🐙によって海に沈められる夢を悪夢として描くあたりにも何を意図した作品なのかが読み取れる。そう考えるとクライマックスでのモーラの行動と目のクローズアップに重みが加わる。

後のバーヴァ『リサと悪魔』のような異界への誘導シークエンスや、浜辺での幻想的で怪奇な映像、少しのシュールレアリスム等々、見どころ多くて面白かった!
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