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白い船のニューランドのレビュー・感想・評価

白い船(1941年製作の映画)
3.7
【1ヶ月半、スマホの修理や交換も不調続き、またその流れで、未完下書の侭、取り敢えずアップ·保存。↪️その後に書き加え修正す】

✔🔸『白い船』(3.7p)及び🔸『十字架の男』(3.8p)🔸『欲望(’46)』(3.1p)▶️▶️

 自らネオレアリズモを創出·体現してく意固地や超越前の、戦中、より映画一般のあり方に素直で、映画本来の滑らかさにより接近し、好ましく普通に自在天才を見せてた、頃のロッセリーニ作をいくつか観る。正直軽佻浮薄に、映画的には、これらの方がいいかも。
 まず『白い船』。前にTVで演ってたのをチョコッと観た気もする(他の作だったかもしれない)が、戦後は60年代の歴史ものを除くと常に貧しく素人っぽい印象のロッセリーニ作品のイメージをかなり一新する(バーグマンを初主演に迎えた『ストロンボリ』等はかなりリッチだが)、ファシズム政権のバックアップを受けての自在で輝く映画作り、それも映画史上の最高作とも云われる『~ポチョムキン』を上回るような、構図·モンタージュ·カメラワークの詰め込みと冴えまでやり抜いてて、政治体制と関連付ければツッコミどころも出てくるのだろうが、独日に比べれば、あっさり能天気に気持ちいい精神主義の伸びやかさ、まさに映画としてはロッセリーニの最良の作である。一時間強しかないところに、驚異的流れとモンタージュが呼吸しまくってく。
 所謂戦意高揚映画だが、イタリアの気質か、緊迫緊張感は少なく、湾で待機中の軍艦内でも、文通の成否や数を競ったりしてる、くだけ方。それより行動だと上陸しての初逢瀬約束者も。しかし、緊急出動に。激しい戦闘に勝つも、先のメンバーらの船は破壊·負傷者多で、ボートらで病院船へ。皆意気軒昂な中、担当ボランティア看護師が、例の逢う筈だった女教師とわかってく。人間味とはりつめ、「犠牲、任務、信念」に無理なく行き着き、戻ってゆく。
 製作条件が恵まれてて、人とカットの配置から、横への移動·パンから縦へのカメラの動きもしっかりしてて、砲身·機·艦らを自在に構図に分け入り、互いにナメての鋭さとスケール、ハンモック群の兵士らから戦闘の拡がる図、自在で猛烈なモンタージュ、アヴァンギャルドにもイメージ的にも描かれ、澄んだ心の交感の張り、戦闘が特化されない様々な日常パーツらとの行き来、この艶とテカリは、この作家の本来の広い才を窺わせる。
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 実際、野村芳太郎が橋本忍に、黒澤明には逢うべきではなかったと言ったと同じに(黒澤は変な拘りに囚われず、ワイラー+ワイラー以上になれたものを、と)、ネオレアリズモに染まらずば、ロッセリーニも変なみすぼらしさから、解放されて素晴しい純映画作家になれたものを、とも思う。
 楽天的な『~船』に比べ、戦争も行き詰まりを見せてきた頃の東部戦線の『十字架~』でも、従軍司祭を描きながら、異なる立場の人間らの本意でない接近·混淆を描きながら、ネオレアリズモ期の妙な精神性·宗教性に嵌まることなく、ドラマや心の高揚の中での相関関係のスリリングさを主体に描かれてく。
 まだ立場や目的をわかってない新兵らのウロウロ、から始まり、ソ連内東部戦線の、巧みに根を張ってるある村落への奪取戦への引きずり込まれ、イタリア軍、ソ連軍、グルジア反ボリシェヴィキ兵ら、そして支配より出産や恋情に向き合う農婦らや女性兵士、これらの間を生き延びよりも自己の軍籍希薄化で立ち廻り救い続ける従軍司祭や軍医。様々な群れが喰い合い埋め尽くしの変移、其れへのスーとした撫ぜる移動や90°等確かな角度変えと縦の図による相互位置、明確化へ向かう、よりヌメッとしてるも力強いタッチ。司祭らは、国や民族の対峙·殺し合いのサスペンスを、引延し漂白してく。これも従軍の司祭らの価値を崇める、戦意高揚の筈が、溶けてゆく。「敵味方」はがりか、旧教と正教の境を消してく、ドラマ性本位としても、素直な流れは、後年の名作より心地いい。
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 イタリアやローマの1945年半ばは、どんな空気の時代か。戦闘によるスリル恐怖や荒廃はもうなく、過去と繋がりがある程度断絶した、無気力と掲げるもの無しが、俯いた心や互いへの疑念が、途を狭め自壊させてく、やはりロッセリーニ世界の、内面世界を問う萌芽がある、『欲望』。ローマに出てきた頃の、仕立屋勤めはとっくに辞め、あぶく銭にモラルもなく、群がるような怠惰自堕落な生活の若い女。自家栽培の花屋と知り合い·心洗われ、田舎に戻り、清らかさを取り戻さんと試みる。しかし、新婚の姉の夫(旧知)の真剣な寄り付き、周りのローマの生活への疑惑、その一旦を具体的に知る男の肉体を求める脅し。花屋が訪ね来る前に自殺を選んでいた(冒頭危機に鈍感で他人事としてた)。
 発案·当初撮りだけがロッセリーニで、特徴的痕跡は殆ど残っておらず、フォローの各種横の等身移動も、細かくキャラや場を押さえてくカッティングも、知らず現実に添いながらもそれを自然超越してく特有の足運びを示すことはない。しかし、このより重ったるいスタイルで、ロッセリーニの原点位置を確認出来たも確かで、好ましくはある。器用というより、汎ゆる方向に開かれてるのがロッセリーニの才能で、敢えて飾りを外した本質の見栄えと反する方向へ舵をきってゆくのか。
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