まぬままおま

ル・アーヴルの靴みがきのまぬままおまのレビュー・感想・評価

ル・アーヴルの靴みがき(2011年製作の映画)
5.0
アキ・カウリスマキ作品。

『ラヴィ・ド・ボエーム』の後日譚ではあるが、みていなくても全く問題なし!!!
市井の人が助け合い希望の光に溢れた傑作です。

本作はフランスの港町であるル・アーブルを舞台に、不法移民の問題に焦点を当てている。印象的なのは、不法移民を汚らしい他者ではなく、品性が高い存在として表象する点である。移民排斥ではない理解を促す表象の仕方。それにより、マルセルらとのドラマや連帯を生み出す余地を残している。

以下、ネタバレ含みます。

本作は『ラヴィ・ド・ボエーム』と同様にパートナーが病を患ったり、お金集めをする。本作において、目的はパートナーの治療費ではなくイドリッサの渡航費用であり、方法も彼らの「ビジネス」ではなくチャリティコンサートの開催であったりと違いはある。このように〈出来事〉を同一にしながら、変奏を行っているのが本作である。そしてなぜ変奏をしているのかと言えば、カウリスマキ作品の眼差しをフィンランドのブルーカラー労働者からさらに不法移民にまで広げ、社会への批評性をより高めるためと言えるのではないだろうか。さらにやっぱり希望を/で語るためだ。

「不法移民で子どものイドリッサをなんとか母がいるイギリスへ渡航させたい」。この皆の何とかしたい気持ちで物語が突き進んでいる。皆は金持ちでもなければ、上流階級の人でもない。マルセルは靴磨きで生計を立てているし、仲間はベトナムからの「不法」移民だ。会話をするのはバーの店主や八百屋。マルセルはお金をもっていないからツケ払いをして、全く払わない碌でもない側面もある。

でもそんな彼らが緊急事態では何やかんや助けるんですよ。イドリッサがマルセルの言いつけを守らず、路上で靴磨きをして警察に目を付けられたときは、ベトナムの彼(チャング)が助けてくれる。イドリッサの渡航当日は、警察の目をかいくぐるために裏口を使わせてくれるし、八百屋は野菜の下に彼を隠して運んでくれる。そして何より警察側のモネ警視は、見て見ぬ振りをしてイドリッサの出航を許すのである。

「市民的不服従」という言葉がある。「自らの良心が不正とみなす国家・政府の行為に対しては、法律をあえて破っても抵抗するという思想と行動」(☆1)である。
彼らのアクションはまさに市民的不服従である。または良心的不法行為と言えるかもしれない。「不法移民」は犯罪だ。だけれど彼らがなぜ不法移民としてやってきたのか思いを馳せ、国家や社会構造の不正を感知できたなら、法を破らなくてはいけない瞬間は訪れる。そしてその瞬間に、愛や希望は生まれる。そのように/そのために行動できる。それは立派なことだと思う。

良心的不法行為ができるためには?それには「品性の良さ」が必要だ。それは階級や環境に関係なく誰しも持てる。マルセルはもちろんイドリッサのために行動した人全員が持っていたじゃないですか。だから本作をみた私たちも品性が良く生きなくてはいけない。希望を/で語るために。そうすれば病の死ではなく、何か治ってしまう奇跡だって起こるはずだ。

☆1 コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%9A%84%E4%B8%8D%E6%9C%8D%E5%BE%93-169820#goog_rewarded )

追記
マルセルとイドリッサの出会い方が最高だ。イドリッサが港の海から現れる。服が全然濡れてないじゃん…けれど出会うして出会う必然さが分かってしまうし、マルセルが食べ物を分け与える描写も素晴らしい。途中で警察が訪れて、助け合いが断絶するが、家への訪問のドラマ性を生み出すことにつながっているからよい。

蛇足
チャリティーコンサートを開催するために、バンドマンの夫婦関係を改善するのだが、改善方法が強引で急展開で簡単にそうはならないだろといいたくなるが、そうなるんですよね。ストレートにメロドラマをされて説得させられた。照明の感じとかね。

そうはならないだろという描写は他にも妻の病気が発覚する描写。タマネギを切っていたら急に突っ伏すとか分かりますけど、2010年代の作品ではそうはやらないだろう…けれどとてもいい。

ジャン=ピエール・レオ演じるブランシュロンが最低な人間になっていて悲しかったよ。。。事業に失敗したのかな。。。