権威社会の脆弱さが今にもぶっ倒れそうなヤニングスとして表象され、アイデンティティを剥奪された老人は制服に生気を吸い取られる。
字幕の不要性に加え噂(声)の伝達を表す口元/耳元への接写は、字幕の省略という仕事に対して不釣り合いにも思えるが全編通して観るとこの演出は不可欠であると確信させられるし、ムルナウを観る度に"音"こそが映画を不完全たらしめているのだろうと実感する。
扉のサスペンスと哀感も良いのだけどヤニングスが夢の中で無重力的な超人となり持て囃される突飛な多幸感のせいで、やはりエンディングも夢だろうと思ってしまう。